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非自願 メラメラ、ガチガチ、バチバチ。 今の状況を表せる擬音ってこんな感じ。メラメラは俺の 中 に燃えてる怒りの炎で、ガチガチは力の入りきったこの身 体、バチバチは、...志摩と俺 の間で今にも弾けそうな火花 の音。 「......離せよ」 一度目は警告。今止めておけばお互い頭に血が上ってたっ てことで水に流してやってもい い。明日からは普通にいつ も通りの伊吹藍ちゃんをやってやってもいい。無理やり押 し倒 されたせいでヘッドボードに後頭部をぶつけたこと も、許してやる。 「志摩、離せって」 二度目は威嚇。これ以上やるならこっちだって黙ってない ぞ、っていう脅し。志摩の片手 で拘束された両手首はビク ともしないけど、俺は志摩より脚が長い。いざとなったら 何処 を狙えば相手が怯むか、選択肢は沢山ある。 「聞いてんのかよ、離せ」 「謝るなら、今だ」 三度目は俺より低い志摩の声で遮られた。志摩の身体から はジリジリ、って何かが焦げつ くみたいな音と匂いがす る。俺を見下して、真っ直ぐに突き刺す様な視線は氷みた いに冷 たい。 当然謝る気なんてさらさらない。意思表示の為に近づいて きた唇を避けて、無防備になっ た首筋に思いっきり噛みつ いた。怯んで力が緩んだ隙に逃げ出してやろうと思ったの に、 志摩の眉がピクリと動いただけで手首の拘束が緩んだ 瞬間はたったの1秒も無くて、企みは 未遂で終わった。む しろ余計に食い込む様な強さで手首握り直されて、志摩が 纏った空気 が一層重くなる。 「...ぜってー謝んねえ、って顔」 「わかってんじゃん」 「お前、そんな命知らずだったか」 「何言ってっかわかんねー...と りあえず気分じゃねえから そこどけよ」 心臓とか肺とか胃とか、身体中の組織が全部重たい。下腹 部の辺りに志摩が跨って、余計 に身動きが取れなくなる。 どけ、って言ってんの聞こえてねえの?少し強めの言葉が 出る より先に、荒々しく唇を塞がれた。 「んッぅ......、!ッおい、しま...、っふ、んッ」 まるで貪るみたいに口内をまさぐられて、どんどん脳内の 酸素が薄くなっていく。いつも とは真逆の、奪うことを目 的にした行為にただただ腹が立った。右手で両手首、左手 で顎 を掴まれて下半身は成人男性ひとり分の全体重をかけ て固定されてる。それでも本気を出 せば抵抗出来ない訳じ ゃないのに、頭に酸素が回らないせいで上手く身体が機能 しない。 その為のキスだって解ると余計に苛々が増した。 酸欠なる、ってとこの直前で息継ぎを与えられて、俺の力 が緩んだたった0.何秒のその瞬 間を志摩は見逃さない。マ ズい、と思った時にはもう物凄い力で身体を反転させられ て た。同時にカシャ、と耳障りな音がして手首に冷たい金 属の感触。 「下手に動くと怪我、するぞ」 「ふざけ......ッ!外せよ、なあおい、志摩!」 いくら怒りを込めて叫んでも手錠は外れてくれないし志摩 の手は止まらない。上は着たま まなのにパンツとボクサー を膝まで下げられて、露わになった部分にぬるついた冷た い何 かが雑にぶっかけられた。この状況でケツに塗り込ま れるものなんて一つしかない、緊迫 で背筋が凍った。 「切れても文句言うなよ」 ぐぷ、と押し込まれた指の感触に、視界がぐらりと揺れ た。 「んあ ゙ッ、っは、ァッ......!」
痛い、痛い、痛い。 腰を引いて痛みを逃がそうとする度に後ろから掴み直され てまた一気 に奥まで挿れられて、食いしばった唇から血が 滲んだ。相変わらず繋がれたままの両腕は 役に立たない。 ろくに慣らしもせずに突っ込まれて、しかもナマだ。最悪 の最低だ。 「声、出せば?」 「ハッ......ぜってー、やだッ...ん、ぅ!」 そうだ、意地でも声なんて出してやらない。いつもセック スが盛り上がってるのはあんあ ん可愛く喘いでる俺のおか げだって、わからせてやる。大体こんなレイプじみた行 為、全 然気持ちよくなんかない。ちんこが勃つのは志摩が さっきから俺のイイとこばっか集中的 に擦ってくるからで あって、ただの生理現象だ。 「お前もッ、大概、頑固だな...!」 「ぅあ、!...っ志摩には、言われたく、ねー......!」 減らず口を叩くのが面白くないのか、おもむろに志摩が放 ったらかしになってた前に手を 伸ばした。鈴口を擽るみた いに撫でられて、喉がひくつく。背後でふ、と志摩が笑っ た気 配がした。 「素直に謝ったら気持ちよくしてやんのに」 うるさいうるさい、耳元でそんな優しい声で囁かれたって 俺の決意は変わらない。目の前 にある自分の腕を噛んで、 ただ声を殺すことに集中する。志摩が満足して終わるまで 我慢 すれば、こちらの勝ちだ。絶対謝らせてやる。 「ンッ、ふ......、はぁ、ぅ...ッ」 「こら、跡付くだろ」 「んァッ、!?ん、ううーーッ!」 背後から覆い被さる体勢へと変えた志摩の指が、開いた口 と腕の間をこじ開けた。太い指 が上顎を撫でて、唾液がじ ゅわりと溢れる。動き回るそれに思わず歯を立てると、ナ カに いる志摩がびくりと反応した。 「...っはァ、ゆび、かまれてデカくすんな、っての、この 変態......ッ!」 「っマジで、口止まんねーな...ッ」 乱暴に身体を揺すぶられながら口には指突っ込まれて、身 体は痛いしケツも痛いし涎垂れ まくりだしまるで獣だ。な のに志摩に抱かれることにすっかり慣れてしまった俺の身 体は 痛みの合間に訪れる快感を丁寧に拾ってしまう。別に 俺Mとかじゃないのに。これで変な 扉開いちゃったらどう すんだよ、マジで。 「ァ、あッ...!待っ、ヤバい......ッ」 挿れられてからずっと奥の方ばっか突かれてるせいだ。俺 のを扱く志摩の手の感触を覚え てしまっているせいだ。全 部、全部志摩のせい。やだやだぜってー先にイきたくな い。 ぎゅう、と目を瞑って先日観たホラー映画の内容を必 死に思い出す。グロテスクなゾンビ の顔をいくら浮かべた って全然収まりそうにない。すぐに意識がこちら側に引き 戻されて しまう。 「っは、ぅ......くるし、ッア!ぅんッ.........え、?」 突然、両腕が自由になった。いつの間にか外された手錠と 小さな鍵をポイとベットの脇に 投げられて、ナカを貪る動 きが止まる。振り返れば、理性的なはずの相棒は酷く欲に 塗れ た顔をしていた。 「なに、なんで...」 「今なら抵抗も逃げることも出来るんじゃないか」 思いがけない提案に目を見開く。この期に及んで止める、 という選択肢を与えてくるのは きっと俺がそれを選ばない とわかってるからだ。あくまで求めているのはお前の方だ っ て、身体に解らせようとしている。どこまでも性格が悪 い。これだから志摩を怒らせるの は面倒で嫌いだ。 「......サイテー」 「じゃあやめとくか」 「......いい、から早くしろよッ...!」 投げ出すような気持ちでシーツに顔を埋める。もうなんで もいいから早くイきたい。絶対 謝りたくはないけどここで 止めるのも同じくらい、嫌だ。 無言のまま、志摩に両腕を掴ま れた。ぐんと身体が引っ張 られて、膝立ちのまま上半身が浮く。両肘の辺りを掴まれ る と、胸を反らす様な体勢にカッと顔が熱くなった。嫌な 予感がする。 志摩が強く腰を打ち 付けたのと同時に、ナカで静かに身を 潜めていたそれが突然、最奥を抉った。 「ーーかはッ...!ぁ、あッ!や、だァッ!ぁあーー ッ...!」
「ッ、ヤバ......」 「ぃあッ、やだ、やだァッ!おく、おく、っやめ、ぁア、 ......!」 勢い良く放たれた精液がぱたぱたとシーツに落ちていく。 イってもイっても次の絶頂が 襲ってきて、ちんこが全然追 いつかない。俺、ちんこ使い物にならなくなったらどうし よ う、志摩が責任とってくれんのかな。 「ヒッ...ぁ、も、むりッ!しま、とめて、クソ、馬鹿 ッ......!」 「なんだそれ」 ねだるか悪態つくかどっちかにしろよ、って志摩が笑う。 小さい身体のどこにそんな力が あるのか、腰をガツガツ突 き上げながら腕を引き、首筋にがぶりと噛みついてきた。 一回 じゃない、何度も何度も、場所を変えて皮膚に歯を喰 い込ませてくる。痛みで目の前がチ カチカする。 「いって ゙ぇ、ッ、っの、やろ......!っぁア...あ!」 「痛いの好きだよな、伊吹」 好きじゃない。全然好きじゃない。気持ちいいのしか好き じゃない。 否定したいのに口か らは涎と言葉にならない声しか出ない から首を振ることしか出来ない。 何度目かわからな い射精で着たままのお気に入りのパーカ ーが汚れていく。これ高かったのに。クリーニン グ代請求 してやる。店舗じゃなくて宅配の高級クリーニング店に出 してやる。 「あ ゙ッあッ、やぁ ゙ッ...も...しま、離してぇッ...!」 「......ッあのな、伊吹」 止めないし、離れない。 いつになく大真面目な顔だった、別にきゅんとしたりして ない。 嬉しくなんかない。無意識にナカを締めてしまった のか、苦しそうに志摩が眉を顰める。 志摩も限界が近いっ てことは顔を見れば直ぐにわかった。 「ッは、しま、しまッ!ぅあ、ァんッ...すき、すき...ッ」 「...はは、すき、は言ってくれん の」 なんでそんな嬉しそうな顔すんだよ、馬鹿。そんな顔した ってケツの痛みも首の噛み跡も 手首の擦り傷もクリーニン グ代も帳消しになんてしてやらない、絶対に。 志摩の動きが、俺をイかせようって動きに変わる。特別イ イとこを狙われて、頭ん中気持 ちいいので埋め尽くされて 訳わかんなくなる。一際大きい波が来て、ろくに名前も呼 べな いまま叫ぶみたいに声を上げてイった。少し遅れて、 志摩が息を詰めるのが聞こえて、ナ カに生温かいものが広 がる。 「......はぁっ、はっ、しま、しまぁ...」 「ん、いぶき」 「......志摩、すきって、いっ て......」 崩れるみたいに二人してベットに倒れ込む。 あれ、おれ志摩に謝らせたかったのに。ごめ んって言わせ たいのに、志摩が意地になって謝んないから怒ってたの に。でも今欲しいの はそんなんじゃなくて、もっと。 「...すきだよ、藍」 俺の髪をかき分けるみたいに撫でる志摩の声が砂糖かって くらい甘い、胸焼けしそうなく らい甘い。でもドロドロに 溶かされた俺には甘すぎるくらいが丁度良くて、クリーニ ング 代以外は帳消しにしてやってもいいかな、なんて俺も 大概志摩に甘い。 End
ABO 子持 あやふやな再会 伊吹が新宿の駅に降り立つと、いかにも東京の中心らし い人いきれに迎え られた。伊吹だって中野新町警察署から 始まって、六年は二十三区に配属されていた。だ が長い奥 多摩での、澄んだ空気に包まれた生活に慣れてしまった。 今となっては新宿のに おいは少しの息苦しさを覚える。 人々の足取りも、心なし早い。でも今日からはこの巨大 な 街で生活するのだから、早く身体を戻さなければ。伊吹は 足早な雑踏の隙間を縫って、 ホームの階段を下っていっ た。
(たしか地下鉄だったよな) 改札に向かいながら、頭の中で今日のスケジュールを立 てた。 時間までに家に着いて、引っ越しの荷物を受け取 る。できるだけ手早く荷解きを済ませて もかなり遅くなっ てしまうだろう。手続き関係は明日、まとめてやったほう がいいかもし れない。明後日は「キャンペーン」の仕事 で、その次の日は機動捜査隊の配属初日――二 十四時間の 当番勤務が始まる。ずっとずっと戻りたかった刑事の仕事 が、すぐそこで伊吹 を待っている。 気持ちが急いて足早になった。だが通路に掲げられたポ スターに、つい立 ち止まる。 「Ω活躍社会」 でかでかと踊る文字を、伊吹は読み上げた。ポスターに は穏やかな笑顔を 浮かべる男女が一名ずつ、淡く優しい色 合いの服を着て写っている。どちらも小柄で細身 の、幼さ を残す面立ちをしていた。 「はは、何これ。ウケる」 ばかばかしいと思った。そもそもポスターに起用してい る男女 がいかにもステレオタイプなΩで、ご丁寧に花まで あしらっている時点で古くさい価値観を 露呈しているも同 じだ。その口で「活躍」などと言われても、薄ら寒くて仕 方なかった。 でもこんな嘘くさいポスターで展開されるキャンペーン にだって感謝しなければならな い。伊吹が刑事――しかも 機動捜査隊という過酷な部署に配属してもらえたのは、Ω とい う第二性のおかげだった。 数年前、政府主導で「Ω活躍社会推進会議」が発足され た。とはいえいきなりΩ雇用に関す るノルマを私企業に課 すことは難しい。そこでまずは公務員から改革を始め、Ω の就労モ デルケースを作ることになった。警視庁もその取 り組みに参加し、Ωのキャリアアップを図 るプロジェクト がスタートする。その白羽の矢の一本が、伊吹にも当たっ てくれた。 「ねぇ、藍ちゃん? 何見てるの?」 伊吹は手を引かれて、我に返った。ぼんやりとポスター を眺めながら、乾いた笑いを浮かべる伊吹を不安げな眼差 しが見上げてくる。その瞳は伊 吹と同じ、明るい鳶色だ。 けれどまだ少女になりたての幼さが、瞳をより澄んだ色に 思わ せた。 柔らかい、小さな手を握り直す。目の前にしゃがみ込ん で、くるくると緩いカーブ を描く髪を撫でた。 「なんでもない。行こ」 「うん。だめだよ、よそ見しちゃ。早く行か なきゃって言 ってたの、藍ちゃんでしょ」 「ごめんごめん。気をつけるね」 伊吹達は手 を取り合って、新宿の駅を進んだ。この子が 新宿に来るのは初めてだ。伊吹の手を強く握 るのは、あま りに多すぎる人を前に緊張しているせいかもしれない。あ んなポスターに気 を取られて、不安がる子供から目を離す なんてとんだ失態だ。 「夜ご飯、何食べたい?」 「うーん、カレー」 「えー? また? 昨日もカレーだったろ」 「昨日のじゃないの! 藍ちゃん のカレーがいいの!」 手を引っ張りながら、丸っこい頬を膨らませた。確かに 昨日は引っ 越し前日だったので、カレーはカレーでもレト ルトだった。「藍ちゃんのカレー」は市販 のルーで作った なんてことない代物なのに、この子はそれが好物だ。 ガスの開栓は、確か 午後一時にくる。荷解きをして、鍋 を出して――食材をあらかじめ用意しておけば、どう にか 夕食には間に合うだろう。明日からは寂しい思いをさせる から、今日は好きな物を食 べさせてやりたい。 「じゃあ途中でスーパーな」 「うん! あのね、お手伝いもするから ね」 ぴょんぴょん飛び跳ねようとするのを宥めながら、伊吹 は歩き続けた。新しい職務。 新しい家。不安なことはあま りにも多い。 (......ちゃんとできっかな) 就労モデルケースとなることでどうにかありついた刑事 の座 だ。警視庁主催の相談会やイベントへの出席も義務づ けられていて、正直ハードだと思 う。奥多摩にいたほう が、この子は楽しく過ごせたかも知れない。でも伊吹には 刑事への 憧れを諦めるなんてできなかった。 いずれにせよもう辞令は下りたのだ。明日から伊吹は 機 動捜査隊になり、東京中を車で駆け回る。それを考えるだ けで心が躍る。 「頑張ろうな、実結」 伊吹は少女の名を呼んだ。 実結。――伊吹実結。それがこの子の名前だった。伊吹 が考 えて、つけた名前だ。いい名前をつけたねと、蒲郡も 褒めてくれた。一生懸命考えたの
だ。だって自分の産んだ 大切な子供への、初めての贈り物だから。 手を引きながら先を歩 いていた実結が、足を止める。実 結はひまわりみたいに、伊吹に笑いかけた。 葉擦れの音がする。頭の上で、風が吹く度に枝が鳴っ て、ひどく耳障りだ。木漏れ日は少 しずつ模様を変えなが ら、組み敷いた身体をゆらゆら照らしていた。 『ひ――っい、ぅ、 あ......っ』 喉の引き攣る音が悲鳴なのか嬌声なのか、志摩には分か らない。頬を伝い続け る涙が何を意味するのか。しゃくり 上げる声は何を訴えているのか。分からない――い や、ど うでもいい。とにかく目の前の身体が欲しくて、喰らい尽 くしてしまいたくて、思 考に至る前の本能に突き動かされ ている。 『や、ゃあ、や――っ、い、ぅ、ああッ』 揺すぶるごとに溢れ出す、切れ切れの声が心地 良い。熟 れきった果物の蜜みたいな甘い香りが、木陰を包み込んで いる。その香りを吸い 込むだけで、ぞくぞくとした高揚が 背筋を這い上がった。 『......っ、めて、やめて、―― さ、やめ......っ』 勃起にぬらりとした温もりが絡みつく。どれだけ深くま で犯しているか を知らしめるように、志摩は最奥を抉っ た。白い身体は脚を突っ張らせて身悶えたかと思 うと、ひ くひくと大袈裟に震えた。自分のモノでイったんだろう。 顔をぐちゃぐちゃに汚 しながら達する姿は、いつもはどこ かに眠っている支配欲を満たした。 『や、らぁ、 も......っ、あ、んあ......ッ』 その人影がいやいやと首を振っても、志摩は聞かなかっ た。 犯して、暴いて、全部自分の物にしたい。身体の中に ぶちまけて、自分のためのΩにする。 そうしたらうなじに 歯を立てて、もう逃がさない。 『......ふ......っ、あ、ま......や、また イ、~~ッい あ......!』 続けざまに腰を揺さぶった。Ωの分泌液が掻き回され て、ぶぢゅぶ ぢゅといやらしい音がする。地面に溢れ出し た愛液が染みていた。蹴り上げた土がΩの白い 脚を汚し て、撫でた皮膚はざらついていた。それでもΩは志摩に貫 かれるまま、後口から 体液をしとどに溢れさせて、何度も 何度も絶頂していた。 『ひ、......っ、ひ、ぅ、やあ...... し、あ、』 泣きながら呼吸を引き攣らせ、白い身体がしなる。志摩 は細い手首を地面に押 さえつけながら根元まで一息に埋め 込んだ。Ωの全身が細かく痙攣し、ひときわ強く引き絞 ら れた。誘われるままに、志摩は子種をぶちまけた。 『......っぁ......うそ......』 身体の内 側を汚される感覚があるのだろう。か細い声 で、Ωはそう言った。でもまだ、まだ足りな かった。志摩 が抽挿を再開すると、二人の間で愛液と精液がぐちゅぐち ゅと混じり合う。 『やだ、も――っや、やあ......ッ』 二度目の絶頂は早くきた。身体がどくどくと脈打つま ま、志摩はただ本能に従った。また中に射精されながら、 Ωは地面の土をかきむしってい た。 『や、めて――......』 すすり泣く声が懇願する。でも志摩はそれを犯し続け た。白い肌に 木漏れ日が描く模様を見つめながら、可哀想 な獲物を貪った。 『やめて、しま、志摩さん――......』 ――志摩さん。 その音を、自らの名を合図に志摩は目を覚ました。目の 前には見慣れた天井が広がってい て、しっかりと布団にく るまって眠っていた。 ここは自宅で、木陰でもなければ哀れなΩ もいない。志 摩一人っきりの部屋で夢を見ていた。 「......またかよ、クソ」 誰にともなく 悪態をついて、志摩は頭をかきむしった。 髪は汗を含んでひどく重たい。でもそれが冷や 汗ではない と、志摩はもう分かっていた。下肢には重たい疼きが居座 っていて、身体はひ どく興奮していた。 「なんなんだよ、レイプ願望なんかねーぞ」 言っていないと頭がおか しくなりそうだった。それくら い志摩はこの夢を繰り返し、繰り返し見続けている。始ま りはもう何年前だったか分からない。内容はいつも同じ だ。生い茂る木陰に白い身体を組 み敷いて、嫌だやめてと 泣き叫ぶ声を無視して犯し尽くす。何度も何度も中に出し て、そ れでも止まらなくて――名前を呼ばれてようやく、 その夢から解放される。 志摩はこの夢を、悪夢だと認識していた。正確に言えば 志摩の理性は悪夢だと認識してい る。けれど目が覚めると 必ず勃起していて、身体中が火照っていた。その反応は志 摩を不 安にさせた。 この夢が自分の潜在意識が見せている願望なんじゃない か。拒み、怯え、そ れでも発情したΩを無理矢理犯したい と心のどこかで思っているのかもしれない。 ここ最
近、この夢をみる頻度が増えていた。もしこれが 願望ならば、抑えが効かなくなっている 証拠だろう。いつ か誰かを犯し、傷付け、心を壊してしまうのではないか。 そんな不安が 日増しに膨れ上がっていく。 「――わっ」 布団にくるまったまま震えていた志摩は、鳴り響いた電 子音に飛び跳ねた。 スマホのアラームが起床時刻を告げて いる。 志摩はのろのろと布団を這いだし、風呂場に 向かった。 今日から第四機捜での、新しい生活が始まる。機捜の経験 はあるものの、何年 も前の話だ。しかも今回組む相棒は機 捜が初めてだという。教えなければならないこと も、志摩 が主導を握らなければならないことも多いだろう。汗みず くの身体を洗って、意 識を切り替えなければならない。 肌になじむ湯を浴びながら、志摩はまだ見ぬ相棒のこと を考えた。 名前は「伊吹藍」 で、階級も年齢も同じ。この間まで地 域課で交番勤務をしていた。たぶん初対面ではな い。伊吹 の経歴書に添えられた写真に、見覚えがあった。何年も前 のことだが、あきる野 警察署管内で殺人事件が発生して、 捜査本部が立ったことがある。そのとき捜査一課にい た志 摩は、暫くあきる野警察署に泊まり込みで捜査活動をして いた。伊吹はたしかその 時、ヘルプで色々と動いてくれた PMだった。 とはいえあの時は事件捜査のことで頭が いっぱいだっ た。話をした記憶はあるが、人となりまでは覚えていな い。念のため事前に 伊吹について聞き込みを行ったとこ ろ、得られたのは「足が速い」という情報だけだ。 「......まぁ、なんとかなるだろ」 不安はある。だが捜査に第一線で関われるのだから、文 句は言えない。志摩はシャワーを止めると、さっぱりとし た身体で身支度を調え始めた。 「どうも初めまして、伊吹藍です」 せっかちな足取りを辿っていたら、駐車場まで来てし ま った。座り込んで機捜車のタイヤを眺めていた男は、立ち 上がると薄く微笑む。散々な 評判を聞いていたから、存外 に礼儀正しくて拍子抜けした。 だがその安堵もつかの間、伊 吹の挨拶は少しずつおかし な方向に向かっていった。ちゃらついただらしなさが鼻に つ き、警戒心が再び頭をもたげる。そしてその感覚は伊吹 がエンジンをかけ、運転を始める に従って濃くなっていっ た。 少しの緊張を保ちながら、密行が始まる。頭の隅で警鐘 が 鳴っていたが、バディは誰でもいいから現場に出してほ しいと申し出たのは自分だ。それ に第一印象だけで判断す るのは、あまりに性急だろう。とにかくこれから二十四時 間は何 があってもこの伊吹と一蓮托生なのだから、少しで もうまくやることを考えるべきだ。 そ う割り切って、しばらくは今日の気温だとかどうでも いい世間話をした。伊吹が志摩の過 去に話題を持って行っ たのは、高速道路に入ってからだった。 「志摩さんって捜査一課で したよね?」 「......そう、ですけど」 「ですよね? 昔、あきる野署に捜査本部立ったの覚え て ます? あの時、志摩さんとちょこっとだけ話したの、俺 覚えてて」 「ああ、やっぱりあの時のヘルプの」 おぼろげだった記憶は正しかったらしい。伊吹はハ ンド ルを握りながら、口元を緩ませた。 「覚えててくれたんですか? 捜査一課ってめちゃ くちゃ 色んなところ行くし、俺のことなんか忘れてるかと思って ました」 「いえ、まぁ、 人相を覚えるのは仕事ですしね」 「すげー、かっこいい! なんか刑事っぽいっすね」 今は お前も刑事だろうがとつっこもうとして、止めた。 伊吹はつつきまわすと面倒そうだ。最 初の挨拶こそ慇懃無 礼な九重刑事局長の息子よりは好印象だったが、言葉の 端々から柄の 悪さが滲み始めている。警察官は試験に通 り、欠格事由さえなければ誰でもなれる。元ヤ ンキーや、 暴走族、遊びまくっていたちゃらいやつなど志摩の苦手な 人間も警察の中には 意外といるのだ。 「嬉しいなぁ。同い年で捜査一課なんだ~って、憧れてた んですよー。 かっこいいなーって」 志摩が黙っている間も、伊吹はぺらぺらと調子よく喋り 続ける。テ ンションが高く、無駄に距離感が近い。そうい えばあきる野署の数多いるPMの中で、記憶 に残っている のは伊吹だけだ。もしかするとその時も、この調子で話し かけられたのかも 知れない。当時の自分がコレを喜ぶとは 到底思えない。好印象だから覚えていたのではな く、鬱陶 しすぎて忘れられないといったところか。 「機捜で手柄あげたら、捜査一課も夢 じゃないっすよね」 「伊吹さんは捜一になりたいんですか?」 志摩が水を向けると、伊吹 はよくぞ聞いてくれたと言わ んばかりに捜査一課への憧れを語り始めた。優秀な刑事で な
ければいけないだとか、警察官の夢だとか、よく聞く言 葉の羅列だ。しかし優秀な刑事と いう言葉はいつも志摩の 胸に突き刺さる。あの時の自分は果たして優秀だったとい えるの だろうか。手柄はあげていた。でも独走して、人を 追い詰めて、それで――。 「志摩さ ん? どうかしました?」 過去に囚われかけた意識を、伊吹の声が引き戻した。そ うだっ た。今は密行中で、つまりは仕事中なのだ。感傷に 浸っている暇はない。 「いえ、なんで も。捜一なんて、そんないいもんでもない ですよ。バカみたいに忙しい」 「問題はそれで すよねー。まぁ、目標ってことで!」 ね、と伊吹はまた笑顔を深くした。うるさいが、よく 笑 う男だ。長時間一緒にいる相手は仏頂面よりかは笑ってい るほうがやりやすい。拭えな い不安を抱きつつも、志摩は 自分にそう言い聞かせた。 結果的に見れば、志摩の不安はある程度的を射ていた。 伊吹の刑事としてのスタンスはめ ちゃくちゃで、基礎から してなっていない。まず煽り運転に乗せられる時点で問題 があ る。今回は結果的に結果に繋がったからいいものの、 いつもこんな風にいくとは限らな い。 そのうえ伊吹は犯人逮捕に参加できないことに文句たら たらだった。機捜の領分を把 握していないなんて、警察官 としての資質を疑う。達成感だの正義感だのと言っている 口 を、どう塞いでやろうかとさえ考えた。 それなのに、伊吹は朝日の中でこう言った。 「機 捜っていいな」 昨夜とは真逆の言葉に、志摩は驚いて伊吹を見た。伊吹 が少女とその祖母 に注ぐ視線は、穏やかに笑んでいる。木 漏れ日のように柔らかで、暖かい。薄く細めた瞳 に太陽の 光を透かして、それがやたらと澄んで見える。 志摩は何も返せなかった。伊吹は 不満で満たされたドブ 川を、たった一晩で黄金の川に変えてみせた。犯人を捕ま えられて 満足したからではない。老婆を孫の元に返せた、 そんな些細なことで全てを輝きで満たし てしまった。 伊吹には才能があるのかもしれない。目の前にあるもの がどんな形をしていても、それが 不本意であったり、ある いは醜かったとして、その中からなにがしかの好ましさを 見つけ られる。そして自ら見つけたものを、愛おしく思う ことができる才能が。 それは暗く淀ん だ情景ばかりを見せられる刑事にとって 一番大切なものだ。でも志摩は忘れていた――あ るいは最 初から持ち合わせていなかったもの。 志摩はそれが眩しい。眩しくて、眩しすぎ て目が離せな い。街灯に集まる虫もこんな気分なのだろうか。 もしかしたら伊吹と共に過 ごせば何かが変わるかもしれ ない。光に喜び、雨に泣いて、そんな素直な自分が生まれ る かもしれない。 でも志摩は他人を信じられない。伊吹に才能があったと しても、それ以上 に問題があれば刑事失格だ。伊吹がいい 刑事になれたとしても、志摩自身が枯れ果ててい たら何も 芽生えない。だからこれはどうしようもない、ただの希望 だ。でも希望がもたら す期待や高鳴りさえ忘れていたのだ と、志摩はようやく気がついた。 だから志摩は桔梗に 伊吹の処遇を問われたときに、迷わ ず言った。 ――ひとまず、保留で。 もう少し伊吹の傍らに、立ってみたいと思った。 伊吹藍と組んで、いくつか分かったことがある。一つ、 伊吹は足が速い。二つ、伊吹は五 感が鋭い。三つ、伊吹は いつも機嫌が良い。それも事件を軽く見てふざけているの とは違 う。痛ましさを直視した上で、なお自分を保つこと ができる。 加々見を引き渡してメロン パン号に乗り込むと、伊吹は 言った。 「なぁ、ほうとう食べに行こうぜ」 もっと塞ぎ込むかと思った。加々見は父親への鬱屈を 抱 え、勤務先の歪な人間関係に苦しんで人を殺した。伊吹は 最後まで加々見を信じようと したし、結果として裏切られ ている。 「せっかく遠くまで来たんだからうまいもん食って かえ ろ」 浮かべた笑みには陰りが差していた。けれど、確かに笑 ったのだ。志摩は長距 離の追跡ですっかり疲労していたの に、何かを考えるより先に頷いていた。 伊吹といる と、なぜか衝動的になる。我慢をするより先 に走り出した方がいいんじゃないかと思えて くる。それが 志摩には少し怖い。変われるんじゃないかと思ったくせ に、いざ変化を目の 当たりにすると怯えてしまう。さび付 いた回路に電流が流れ出した感覚と似ているかもし れな い。何かが動き出す気配はあるけれど、いつショートする か分からない。 急に逃げ 出したくなって、志摩は目についた店にさっさ と車をいれた。
適当に選んだ店だったが、味は良かった。伊吹も気に入 ったらしい。レジで何束も乾麺を 買い、すっかりご機嫌で 運転席に座っていた。 「あー、食った~。うまかった」 「久しぶりに食ったな、ほうとう」 「ねー。探せば都内 でもあるんだろうけどさ。わざわざ行 かないよね」 「山梨出身でもないしな。食えばうま いってわかってて も、食おうってタイミングがない」 「そうそう。おいしいもの食べれて ラッキーだったねぇ」 エンジンをかけて、車を発進させる。のろのろと動き出 したメロン パン号は、すぐにスピードに乗って帰路につい た。 「勤務時間を超過してもラッキーって 言えるお前がすごい よ」 「だってさ、いい景色見ながらのんびり外食したの久しぶ りだ し」 今にも鼻歌でも歌い出しそうだった。ほうとうは確かに うまかったが、そこまで喜ぶ ほどのことだろうか。 「あんまり外食しないのか?」 「んー、しないってことはないか なぁ。忙しかったらファ ミレスとか普通に行くけど、なんかバタバタしちゃう」 確かに チェーン系のファミリーレストランには飲み屋と は別の慌ただしさがある。奥多摩から出 てきたばかりだ し、店もよく知らないのだろう。 「今度、酒でも飲みに行くか? 陣馬さん も懇親会がした いとか言ってたし」 ごく自然に口から滑り出て、志摩が一番驚いた。でも 相 棒としてうまくやっていくために、職務外での交流も必要 だからと自分に言い訳する。 「あ、ごめん、酒は無理」 誘いはばっさり切り捨てられた。だがショックよりも驚 きがま さる。伊吹は飲み会も酒も好きなノリのいいタイプ だと勝手に思い込んでいた。 「マジか。下戸?」 「いや、そうじゃなくて。酒は好きだよ。昔はめっちゃ飲 んでたし。 でも仕事終わったらお迎えいかなきゃいけない んだよね」 「お迎えって......何をだ?」 伊吹の話がいまいち見えてこない。志摩が疑問符を飛ば して いると、伊吹は「ああ」と思い出したように言った。 「そういや言ってなかったよねぇ。 俺さ、子供いるから」 「はぁ? 結婚してたのか?」 そういう話は聞いた覚えがない。伊吹 は笑いながら否定 した。 「違う違う。俺が産んだの。俺、Ωなんだよ」 「......は?」 ―― 「Ωだったらさ男でも産めるじゃん?だから」 土汚れの手首 バシリカ高校の学生が虚偽通報を繰り返したときも、青 池透子が命を落とし たときも、伊吹は心を砕いて表情に悲 痛を含ませた。けれど全てを終えた後にはやっぱり いつも の笑顔で、しっかりと前を向いていた。 いつもいつも、伊吹は罪を犯さざるを得な かった人間に 寄り添う。あるいはその被害を受けた者にも。そんなに心 を揺らしていて、 船酔いしないかいつも心配になった。 日々が続く中、メロンパン号車内での距離も近付いたと 思う。はじめ娘については口を噤 んでいた伊吹も、最近は よく実結の話をするようになった。私生活の殆どを子供の ために 捧げているのだから、雑談にその内容が増えるのは 当然のことだ。テレビも食事も実結に 合わせて、それでも 伊吹はいつも楽しそうにしていた。 「でね、この間もかけっこで一番 だったんだって」 「お前も足速いしな。遺伝ってすごいな」 「おれもちゃんと教えてるん だぜー? 走るのはね~、け っこうコツもいんのよ。実結も頑張ってんの」 伊吹の様になっ たフォームは何度も見ている。それをし っかりと教えているのだと思うと、なんだか微笑 ましかっ た。 伊吹の子育てぶりを聞けば聞くほど、志摩は相手のαが 気になった。働きな がら子育てもして、薬でΩとしての性 質も押さえ込みながら生きるのは困難を伴う。なのに 助け 合うべきαの存在は空気よりも薄い。伊吹自身が相手を遠 ざけているのなら、志摩に 口出しをする権利は何もない。 だがもしも相手が何らかの理由で――例えば伊吹に飽き た だとか、子育てが面倒だからとかろくでもない理由で協 力を拒んでいるんだとしたら、志 摩はそいつのことを許せ ないだろう。レイプ被害に遭っていて、片親が加害者だと いうな らなおさら。 (なんでなんだろうな) 伊吹は相棒だ。だが相棒というのはあくまで仕事上のペ アであっ て、何も彼もを共にする存在ではない。だから伊 吹に子供がいたって、そこにどんな事情 があったとして、 志摩には関係ない。伊吹は最初に言った通り欠かさず薬を 飲んでいて、
今のところΩ特有の甘やかな気配を滲ませた こともない。なのに志摩は伊吹が気になるし、 見も知らな いαへの怒りを腹の中にため込んでしまう。 「そういえば伊吹、昨日はキャン ペーンだったんだろ?」 今はこれ以上実結の話を聞くべきではないと、志摩はわ ざと話題 を変えた。日勤である昨日、伊吹の姿は分駐所に なかった。Ω活躍社会推進キャンペーンの 相談員としてイ ベントに参加していると聞いている。 「そうそう。なんかねー、いっぱい 来てたよ。Ωってけっ こう少ないじゃん?」 「まぁ、人口比で言うと一番少ないな」 「だ ろ? 部屋の中全部Ωばっか! なんての殆どないか らさ。いつもすげーなーって思うんだよ ね」 伊吹はもう既に数度、キャンペーンの仕事をこなしてい る。会場に集められる警察官 はΩをメインに構成され、不 足分はβが補っている。αである志摩には絶対に巡ってこ ない 仕事だ。 「でもさぁ、やっぱ皆なんつか......大変みたいでさ」 幸せに暮らしているΩは相 談会に来ない。でも母集団の 偏りをさっぴいても、Ωは苦労の多い第二性だ。そもそも 「活躍社会推進会議」が発足することそのものが、Ωが社 会において劣位に置かれている証 拠である。 「なんかね、よく言われんだって。Ωはヒートがあるから 淫乱だとか」 「なんだそりゃ。生理現象じゃねーか」 「ねー。まぁ、おれもあるけどさ。アレ結構傷付 くんだよ な」 伊吹は頬杖をついたまま、溜め息をついた。持って生ま れた身体を揶揄さ れて、不快に思わない人間がどこにい る。第二性の仕組みも道徳も義務教育で教わるはず だが、 身について居ない人間が多い証拠だ。もっとも全員に知識 と理性と道徳観念が醸成 されていれば、警察はもっと楽な 仕事になるのだが。 「あとやっぱ就職がねー」 「あー......なるほどな」 「ヒートの間は働けないし、番ができたら子供産むじゃ ん? そう いうの全部やっぱたるいんだって、企業的に」 「経営者の実力不足だろ。そういう調整を するのも管理職 の仕事だ」 言いながら、理想論だと自覚していた。伊吹が言ったヒ ート の特性を疎む人間が多くいて、迷惑だと公言する者ま でいる。それは差別なのだと理解し ようとしない。連中の 言い分は決まっていて「あくまで身体の違いで区別をして いるだ け」だ。世の中は自分が善人だと思いたい人間で溢 れていて、自分が差別をしているとは 認めたがらない。 「キャンペーンってさ、色んなとこから人来てんだよ。ハ ロワの人と か、あと役所の窓口の人とか」 「支援の総合窓口って感じか?」 「そんな感じ。来たら一 応一通り相談できます~みたい な? でもおれって結局さ、あんま何もできないの。ほん と話 聞くだけなんだよね」 警察官の仕事は治安の維持だ。その一環で市民を支援窓 口に繋げる ことはあるが、具体的に動くのは各分野の役 所。伊吹はあくまで「働くΩの参考モデル」と して参加し ている、悪く言えば愚痴聞き係である。 「でもけっこう皆、話したら楽になっ たー、とか言ってく れんの。何回も来てくれる人もいてさ」 「回りにΩがいないとそうい う話もできないだろうな」 「やっぱ数が少ないからなぁ。そんでよく来てくれる人の 中に ね、おれと同じ人もいるの」 「子供がいるってことか?」 「うん。男のΩで子供育ててるん だってー」 Ωというだけで絶対数が少ないのに、男のΩでシングル ファザーをしている者 と出会う確率はかなり低いだろう。 そもそもΩは妊娠可能な第二性だが、番を持つことも前 提 となる性だ。番ではないαと性交をした場合、他が同じ条 件であったとしても妊娠確率 は大きく下がる。 「その人おれと話すのすごい楽しみにしててくれんの。刑 事やってて、 楽しそうで、話してると励みになるんだ~っ て。昨日も来てくれた」 「同じ境遇だと親近 感が湧くんだろ」 「そうかも。おれだって思うもん。相談事とかないほうが いいのに、ま た来てくんないかな? って探しちゃう。話 すともっと頑張ろうってなるし」 キャンペーン の仕事は機捜の仕事を圧迫する。だが伊吹 はそれに確かなやりがいを感じ、しっかりと役 目を果たし ているようだった。横を見なくても声だけで、笑っている のが分かる。 「もう頑張ってるだろ」 「え?」 「お前。もう頑張ってる」 不規則で危険な任務と相談員。実結の親としての伊吹 は、一人 で二人分の働きをする。何足ものわらじを、伊吹 は十分に履きこなしていた。それ以上頑 張って大丈夫なの かと、志摩は気がかりだ。
「志摩ちゃん」 ぽつ、と名を呼ばれた。ちょうど赤信号にさしかかった ので、少しだけ視 線を向けた。目が合った瞬間、伊吹はふ わりと笑みを広げた。 「あんがとね」 当たり前のことを言っただけのつもりだった。だがあん まりにも伊吹が嬉 しそうにするから、びっくりして心臓が 強く鳴ってしまった。――びっくりしたせいだ、 たぶん。 「......おう」 気恥ずかしくなった志摩は、視線を前方に戻して小さく 返事をし た。鼻先をほんのりと甘い香りが掠めた気がした けれど、きっとそれも気のせいだろう。 ――志摩さん。 またあの夢を見た。またか細く名を呼ばれた。枝のよう に細く白い指 が、小さく震えていた。志摩は全身に汗をか いて目を覚まし、熱をもった身体に嫌気がさ した。 シャワーでどうにか夢の残滓を洗い流し、志摩はキッチ ンに向かった。頭がぼんや りと霞んでいるのは、眠りが浅 かったせいだろうか。それとも何か別の理由なのかもしれ ないけれど、とにかくコーヒーで目を覚まさなければなら ない。 苦味を口に含み、人心地がつく。以前はこんなにも夢を 引きずったりしなかった。でも酷 薄な夢は回数を重ねるご とに鮮明になり、肌の温度やなめらかさまで感じるように なっ た。唯一の救いは犯されるΩの姿が見えないことだ。 涙がこぼれているとか、悲鳴をあげて いるとか、そういっ たことは知覚できるものの具体的な像は結んでいない。 でもいつか涙 をこぼす瞳を見てしまったらと想像する と、背筋が凍る。それを哀れだと思えれば、まだ いい。も しも泣き叫ぶ姿に満たされ、快感を得てしまったら自分は どうなってしまうのだ ろう。 何をきっかけに夢を見始めたかは覚えていないが、夢が ひどくなった理由には心当たりが ある。伊吹だ。 ここ最近、志摩には伊吹ほど深く関わり合ったΩがいな かった。警察組織 にΩがいないわけではないが、例の伊吹 が参加しているプロジェクトが始まるまでは「安 全」な部 署に優先的に配属されていた。機動捜査隊、捜査一課、刑 事課――犯罪捜査の最 前線ともいうべき部署を渡り歩いて いた志摩の周りには、必然的にΩの捜査官が少なかっ た。 「......なんだかなー」 伊吹といてΩという性を意識する機会が増えた。伊吹自 身のこ とはもちろん、キャンペーンの話の又聞き、加えて Ω性を理由に犯罪にあった被害者。だか らΩの夢もより強 く志摩に刻まれる。 被害者に寄りそう伊吹を、志摩はいつも遠巻きにす る。 夜ごと夢の中でΩを強姦している自分は、きっと近寄って はいけない。そして罪悪感 で一杯になって、最後には目を そらした。 でもその時は目を背けても、またすぐにいつもの夢を見 る。もう嫌だと思っているのに、 何度も何度も。伊吹とメ ロンパン号に乗った日は、夢を見ない日のほうが少ない。 「中学 生かよ......」 相棒のことをΩとして意識していやらしい夢を見るなん て、どうかしている と思う。でも考えないようにしようと すればするほど、そのことで頭はいっぱいになって いく。 相棒としての伊吹とΩとしての伊吹、そしてΩを犯す夢が 境界を失って混じり合う。 「――っ」 ぞくりと背中が震えた。伊吹は涙を堪えるとき、いつも 目尻を赤くする。全力 で駆けると汗粒を浮かせて、あがっ た体温がすぐ皮膚を染める。それを全部思い出して、 一つ の像を結んだ。 それが性的な興奮だと気付けないほど、純朴ではない。 でも相棒が 発情した姿を想像して平気でいられるほど、図 太くも倫理に欠いてもいなかった。 胸に動 揺が渦巻き、指が震える。ガシャンと硬質な音が 響き、床にはマグカップの破片とコー ヒーがぶちまけられ ていた。 「あー......、くそ、めんどくせぇ」 鋭利に砕け散った陶器を放置はしておけない。志摩は 玄 関に行くと、普段はしまいこんでいるスリッパを履いた。 ほうきとちりとりと、それか らぞうきん。使い捨てのワイ パーや掃除機を使うことが多く、一応置いてあるだけの掃 除 用具を引っ張り出す。 床一面に広がる濁った黒を拭いながら、志摩はまたため 息を吐い た。 間違いなく、自分は混乱している。伊吹のうっすらと甘 い匂いを嗅ぎ取ってしまった せいかもしれないし、木陰の 夢に惑わされているせいかもしれない。いずれにせよ状況 は 思わしくなく、ただ志摩を憂鬱にさせた。夢も妄想も全 部、コーヒーみたいに拭い去って しまいたい。でもきっと そううまくはいかないのだろう。 ひとしきり片付けを終えた志摩は、ソファにぐったりと 腰掛けた。
「仕事行きたくねぇ......」 これから勤務だというのに、ひどく疲れた気がする。伊 吹の顔 がまともに見られない。でもそんな理由でズル休み なんて子供だって許されない。 志摩は のろのろと立ち上がって、服を着替えた。とにか く別のことを考えたかった。マグカップ を割ってしまった から、帰りに買ってこないと温かいものが飲めない。他の 日用品もつい でに買いに行こう。洗濯用の各ハンガーはピ ンチがいくつかなくなっているし、ワイパー のストックは 一週間前から無い。トイレットペーパーやらティッシュも 減っているし、全 部まとめて済ませたほうが効率的だ。 今日は車で行こうと決めて、鍵を持って家を出た。 大荷 物を担いで帰ってくるのは面倒だ。二十三区内の署に私用 車両を駐めるスペースは無 いが、一日くらいならコインパ ーキングに入れておけばいい。 運転席に座り、ナビをつけ る。渋滞がないことを確認し て、志摩は分駐所に向かって車を走らせた。 分駐所のドアを開けるとき、志摩は一度動きを止めた。 伊吹に妙な態度をとりやしない か、不安だった。かといっ て入り口でもじもじしている訳にもいかず、思い切ってド アを 開けた。 「......おはようございます」 「おー。っはよー!」 元気な挨拶に迎えられて、ほっとした。いつもと変わら ない伊吹の 姿は、下卑た妄想を拭い去ってくれる気がし た。 「おう、おはよう」 「ん? なになに? 今日の志摩ちゃんはご機嫌?」 「は? なんでだよ」 「うわ、急に下がった。意味分かんねぇ」 唇を尖らせて、伊吹はデスクに向き直った。一 瞬だけど きりとしたが、ばれたわけではなさそうだ。鋭く、色素の 薄い伊吹の目には、た まに自分の中の醜さを全部知られて いるような気分になる。インカムを手に取りながら、 志摩 はさりげなく視線を外した。 「今日はどこのヘルプだ?」 「二機捜だって。ひったくり出てるから要注意~」 「了解。 じゃあ行くか」 四〇四の赤いファイルを受け取る。準備を整えた志摩 は、伊吹と連れ立っ て今日も二十四時間の密行に入った。 志摩は運転席を選び、エンジンをかけた。少なくとも頭 の中が完全にきれいになるまで は、意識を散らす先は多い 方が良い。仕事のスイッチさえ入ってしまえば集中できる のは 分かっていたけれど、それでもメロンパン号は伊吹と 二人きりの密室だ。 今日も無線機は ひっきりなしに入電を伝えてくる。その 中で近隣に発生した、領分の範囲の事件に足を運 ぶ。ある 程度解決したら、また密行。それを繰り返すうちに時間は 瞬く間に過ぎていっ た。 朝陽が空を白く染めていく。やがて薄水色が滲み出した 頃だった。伊吹は小さく首を傾げ てから、私用のスマホを 取り出した。バイブレーションするスマホを見ると、伊吹 は難し い顔をした。 「もしもし。いつもお世話になっております。何かありま したか?」 仕事 中、伊吹が私用のスマホを使うのは実結に関するこ とだけだ。 「はい、ええ、わかりまし た。じゃあ上がったらすぐに向 かいます。はい、お休みさせて下さい。よろしくお願いし ます」 伊吹は通話を切ると、深い溜め息を吐いた。そして時計 を見て、小さく呻く。 「実結ちゃんどうかしたのか?」 「熱出しちゃったみたい。今日は学校休みにしてもらった から、帰りに迎え行く」 予想は当たっていた。当番の日、伊吹はΩの親を持つ子 の託児施 設に実結を預けている。二十四時間以上の託児を 受けてくれる貴重な施設だ。ヒート中は 三日間程度、育児 もできない。それに対応するための長時間託児だが、親が 不規則な仕事 をしている場合ヒート以外でも利用できる。 「風邪か?」 「たぶん。あー、でもお医者さ ん連れてかなきゃ。午前の 受付間に合うかな」 当番が終わるまであと少し――それでも数 時間はある。 心配なのだろう。伊吹は度々時計を見て、落ち着かない様 子だった。 「施設ってどこにあるんだ? 近いのか?」 「晴海のほう。官舎と施設両方空いてるとこ、あ んまなく て」 芝浦署から晴海は電車を使うと四十分程かかる。だがそ れは直通の路線が ないからだ。車ならば十五分もあれば着 く。 「送ってく。今日、買い物したくて車で来てんだよ」 「マジで? いいの? 買い物は?」 「大 したもんじゃないし、お前ら送ってからでいい。施設 から帰るのも車のが楽だろ」
「しま~~!」 伊吹は手を合わせて志摩を拝んだ。 「ありがと! すげー助かる! 最高! 優しさ大王!」 「い いって。俺も心配だし。住所出しとけよ」 とにかく時間までは帰れない。ただ忠実に任務 を遂行す るべく、二人は車を走らせ続けた。 実結を抱えたままでは荷物が持ちにくいだろうと、志摩 は二人を部屋まで送っていった。 伊吹の部屋は子供のおも ちゃが転がっていることと、志摩には理解しがたいエスニ ックな 装飾が施されていることを除けば整然と片付いてい た。 「ごめんね、実結寝かしてきちゃうから」 伊吹はそう言って奥の部屋に入っていった。実 結はくっ たりと伊吹に身体を預けたまま、伊吹と同じ鳶色の目でし んどそうに志摩を見 た。肩まである髪はふわりと柔らかい 曲線を描いている。六歳でパーマもないだろうか ら、そう いう毛質なのだろう。伊吹も完璧なストレートではない が、実結の髪はもっと分 かりやすいウェーブヘアだ。目の 形も切れ長の伊吹とは違い、目尻が垂れ下がっている。 正 直なところ、あまり伊吹に似ていない。 だったら誰に似たのかなんて、考えるまでもな い。もう 一人の親であるαだ。空気よりも薄いと思っていた存在感 を、志摩は実結の姿の 中に初めて感じ取った。じくりと胸 が疼くのを、志摩は気付かぬふりをした。 寝室から 戻ってきた伊吹は、ビニール袋で氷嚢を作った り、棚から体温計を取り出したりと忙しな く動いた。何度 か寝室とリビングを行き来して、ようやく志摩の前に戻っ てきた。 「寝てくれた。ありがとな、今度お礼するから」 「いいよ、別に」 「えー、でもさ」 「気にすんな。それより必要なもんあったら買ってくる ぞ? 置いてくの 心配だろ」 六歳だし、買い物の間くらいは留守番できる。だがそれ は通常ならば、の話 だ。今は熱があるし、目を覚ましたと きに親が居ないと不安がる。 「さすがにわりぃって」 「何かあったら寝覚め悪いだろうが。お前は病院に予約」 実結の 荷物を押しつけると、伊吹は申し訳なさそうにし ながら五千円札を手渡してきた。 「果物 とゼリー買ってきて。あと冷えピタと、昆布の佃 煮」 「分かった。アレルギーとかないか?」 頷いた伊吹から近所のスーパーを教えてもらい、 志摩は 家を出た。指示通りの買い物をこなして、おまけでアイス クリームをつけた。すぐ に伊吹の家に戻ると、玄関先でビ ニール袋を手渡す。あまり長居をしても迷惑だ。 袋の中 を覗いた伊吹は、ころんと転がったバニラアイス を見つけて目を微笑ませる。力の抜けた 笑みだった。子供 が病気になれば親だって不安になる。それが少しは拭えた のなら、よ かった。 「ありがと。志摩ちゃん大好き」 どきりと心臓が跳ねた。深い意味なんてないと分かって いるのに、とくとくと鳴る音が止められない。 「早く熱下がるといいな」 「うん。明日非 番で良かった。ほんとありがとね」 志摩が外に出ると、伊吹は音が立たないようゆっくり と 玄関を閉めた。扉を引くその手首が、ひどく白く細いこと に今更気が付いた。 伊吹の部屋を出た志摩は、そのままインテリア用品の量 販店に向かった。車を走らせる間 も、なんだか落ち着かな い。 一番小さな物から買ったほうがいいだろう。食器売り場 に 並べられたマグカップから、使いやすそうな物を選ぶ。 適度に大きく、重すぎないもの。 割れにくいもの。手に取 って持ち手の具合を確認していた志摩は、ふ、と視界の端 に一つ のマグカップを留めた。 大ぶりなそれに手を伸ばすと、ずっしりと重量感があっ た。志摩 が求めている物よりも大きくて、重たい。でもき れいな藍色をしている。横には同じ形で 色違いのマグカッ プがあった。こっちは志摩の好きなアイボリーだ。 「......いやいやい や」 これはいらない。志摩はマグを棚に戻した。かといって 他に欲しいデザインもない。 マグカップは別の店で買った 方がいいかもしれないと、志摩は一度その場を後にした。 だが数時間後の今、藍色とアイボリーのマグカップは志 摩の自宅のテーブルに並んで鎮座 している。 「どう考えても二個はいらねぇ......」 自分は一人暮しだし、コップはすぐに洗 う。冷たい物を 飲むためのグラスは別にあるし、二つ目のマグカップは邪 魔なだけだ。で も色違いのそれがどうしても欲しくて、そ の理由は考えたくないけれどたった一つしかな い。 「......安かったし」 当番明けに伊吹を送って、買い物もして、きっと疲れて 思考力が
落ちていたのだ。独りごちながら、無理のある言 い訳だと思った。 もうさっさと眠ってし まおうと、志摩はマグカップをほ ったらかしてベッドに入った。寝室の明かりを落とし頭 ま で布団を被れば、重たい身体はすぐにまどろみへと落ちて いく。 (......でも伊吹は寝れないんだよな) とろとろと眠たい頭に、相棒の顔が浮かぶ。伊吹は実結 を病院に連れて行ったり、看病をしたりでなかなか休めな いはずだ。当番明けは疲れてい るのに、大丈夫だろうか。 だが志摩が心配をしても、何の足しにもならない。次の 日勤に ゼリーを買っていってやろうと決めて、志摩はその まま眠りについた。 End
ABO ヒート 永遠に終わらないのではないかと思えたヒートは、幸い にして一晩でおさまった。ほんの 数分だけ正気に返った隙 に、追加で飲んだ抑制剤が効いてくれたのだろう。 ヒートが重く 抑制剤が効きづらいオメガの場合、こんな 地獄が一週間も続くらしい。これまで他人事の ように考え てきたが、三十路も半ばを過ぎてはじめて「オメガってめ ちゃくちゃ大変じゃ ん」と伊吹は思った。己の性とろくに 向き合ってこないまま大人になったせいで、相棒が 去年の 冬のボーナスで買った高級カシミヤコートを完全にだめに してしまった。 「ほ んっっっっとーにごめん。マジで弁償する、ぜったい する」 「そんなのはべつにい い。......からだのほうは大丈夫なの か」 出勤するやいなや「ごめん!!」と頭を下げた伊吹 を、 志摩は慌てた様子で廊下の隅のほうへ連れ出した。さすが に精液やらなにやらでどろ どろにしてしまいましたとは言 えず、うっかり吐いちゃって、と嘘をついたら、かえって 心配される羽目になってしまった。 ヒートは一晩でおさまったが、大事をとって公休日の 翌 日から三日休んだ。志摩がヒート休暇を代理申請してくれ て、同僚たちには胃腸炎だと 説明してくれたらしい。休み のあいだ何度か送られてきた志摩からのメールは、体調を 気 遣う文面ですら定型文のように淡々としていた。 「もうぜんぜんへーき。ちゃんと医者に も診てもらった し」 メールで志摩に指示された通り、昨日は病院へ行って就 業可能であ ることを確認してもらい、診断書と新しい抑制 剤を出してもらった。 担当の医師に周期が ずれた心当たりを訊ねられ、ありま す、と伊吹は答えた。自分でもよくわかっていた。 「なあ志摩。今日さ、終わってから時間ある?」 タイミングよく今日は日勤だ。この数 日、伊吹と同じよ うに、志摩も様々なことを思っただろう。聡い相棒はその くろいひとみ をわずかに揺らめかせて、しずかに頷いた。 外でできる話ではないとお互いわかっていたから、志摩 の「うちでいいか」という誘いに 伊吹は素直に従った。志 摩が官舎の壁の薄さを気にしてそう言ったのか、ヒートを 終えた ばかりのオメガの部屋を訪れることに思うところが あったのかまではわからない。伊吹は なんとなく後者のほ うかと思ったが、自分がそう感じているからかもしれな い。 志摩の マンションには何度か来たことがあった。近くで 呑んでいたついでに休憩がてら立ち寄る とか、渡すものが あって玄関先までとか、その程度だから長居をしたことは ない。訪れる のは数ヶ月ぶりだったが、相変わらずモデル ルームのように整然とした部屋だった。 ひと つしかないソファに荷物を置かせてもらって、ラグ の上へ直に座る。 「ビール飲むか」 「おっ、サンキュー」 缶ビールを両手に持ってキッチンから戻ってきた志摩 が、ローテー ブルの斜め向かいへ腰を下ろした。差し出さ れた缶ビールを受け取ってプルタブを引く。 特に飲みたい 気分でもなかったが、アルコールの匂いで多少気が紛れ た。志摩の部屋にし たのは失敗だったかもしれないといま さら思う。どこもかしこも志摩のにおいがして落ち 着かな い。
「コート、マジでごめんな」 「まだその話してんのか。べつにいいって言ったろ」 「だっ てめっちゃいいやつだろあれ、肌触りやばかったも ん」 「わかってて貸したんだ、おまえ が気にすることじゃな い」 いったいなにをどこまで「わかって」いたのか、思わず どき りとして黙ってしまった。志摩はいつもと変わらず、 すんとした横顔でビールを飲んでい る。 「......あのときさあ」 「ん?」 「俺がヒートになったとき。なんで俺が抑制剤持ち歩いて るってわかったの」 「オメガなら大抵そうしてるだろ」 「まあそうかもしんねえけど、なんかいろいろ慣れて んな ーっておもって。あの状況でとっさに荷物あさって薬飲ま してくれるとかさ、経験な かったらできなくね? アルフ ァってオメガのフェロモン嗅ぐとおかしくなっちゃうんだ ろ」 とおい昔に保健の授業で習ったことをぼんやり思い返す と、志摩は微妙な顔をして 笑った。 「けっこうギリギリだったけどな」 ほのあかるい闇のなか、じっとこちらを見つ めていたひ とみを思い出す。志摩がアルファであることくらい、だれ に教えられずともわ かっていた。初対面で握手をしたとき に覚えた直感を、確信したのがあの夜だ。 獣じみた 息遣いと、夜の底でぎらついたくらいひとみ。 まざまざと脳裏に焼き付いているそれを思 い返した瞬間 に、胎の奥がぞくんと疼いた。慌てて手のひらへ爪を立て る。 「むかし付き合ってた彼女が、オメガだったんだよ」 ぐっとビールを呷った志摩が、濡れ た口端を指で拭いな がら言った。志摩の過去の恋愛について聞くのはこれがは じめてだっ た。身内にオメガがいるか、そうでないにしろ 関わったことがあるのだろうとは察してい た。オメガは他 の性に比べれば圧倒的に数が少ない。一生のうち、ヒート に遭遇せず済む アルファのほうが多いはずだ。 「むかしって、学生んときとか?」 「いや、刑事になって から」 「噛まなかったの」 反射的に訊いてしまってから不躾すぎたと気付いたが、 志摩は咎める こともせず素直にうなずいた。 「噛まなかった。......というより、噛めなかった。だから 振られた」 「......ふうん」 いっときの感情で番ってしまうより、正直に怖じ気づく ほうがよほど誠実 だ。志摩は番うことにおいて圧倒的に優 位な側なのだから、なおさらそう思う。けれどそ の一方 で、恋人に番ってもらえなかったオメガの心情をおもうと やはり同情してしまう。 ここへきて急に覚悟が萎えそうになったが、ふと志摩に なまえを呼ばれ、気遣わしげなそ の眼差しと目が合っては っとした。 「おまえがもし今後のことを気にしてるなら、」 「そ のことなんだけどさ」 志摩が言いかけたのを遮って、伊吹は手にしていた缶ビ ールをテー ブルへと置いた。からだを傾け、志摩へと改め て向き直る。 「いっこだけ、俺のお願い聞 いてよ。一生のお願い」 見慣れた相棒の顔に、緊張と困惑とが同時に浮かんだ。 伊吹はそ のひとみをまっすぐに見つめ、意を決してただし く一生のお願いを口にした。 「俺のうな じ、噛んでくんない?」 「──は、」 数秒の沈黙のあと、志摩は目に見えてうろたえた。自分 でもひどいことを 言っている自覚はあったが、もうあとに は引けなかった。 「べつにそういう意味で番に なってくれって言ってるわけ じゃねえよ。俺はこの先もちゃんと薬を飲むし、志摩は彼 女 でもなんでも気にせず作ってくれていい」 「いや、いやちょっと待て、」 「このあいだは 運がよかっただけだって志摩もわかってる だろ。もしまた周期がずれたら、それで他のや つを巻き込 んじまったら、俺はもう志摩の相棒でいられない」 いくら法規で守られていて も、一度でも問題を起こして しまえば容易に立場を失ってしまう。責めを受けるのは決 まってオメガのほうだ。志摩がもっとも心配していたの は、このことだろうと思う。 己が 彼の、ある意味では弱みであることを、伊吹はこの 一年で充分理解していた。いま伊吹藍 という相棒を失った ら、彼はきっとひどくかなしむ。 「保険のためだけに、俺と番になる のか? アルファの俺 はともかく、おまえは一生、俺以外の人間と番えなくなる んだぞ」 「だから一生のお願いって言ってる」 伊吹は腕を伸ばして、テーブルの上の志摩の右手を ぎゅ っと握った。志摩が居心地悪げに身じろぐ。 「志摩にしか頼めない。相棒のおまえに しか」 ずるい言い方をしているのはわかっていた。くろいひと みがゆらゆらと揺れてい
る。 「いつまで相棒でいられるかなんてわからない」 「知ってる。だったらなおさら、信 頼してるやつと番にな っておきたい」 信頼、という一言に、志摩がすっと息を呑んだ。手 のひ らに彼のふるえが伝わってくる。 「......俺、俺は、」 「うん」 「もしまたおまえが、俺の目の前でヒートになったら、自 分を抑えられる自信が ない」 こどものように頼りなげな声だった。俯いている目のふ ちがあかい。痛々しく怯え る相棒の姿を目の当たりにして 伊吹の胸に湧いたのは、罪悪感でも悲哀でもなかった。 伊 吹はそっとほほえんで、大丈夫、と言った。 「抑制剤な、いままでのより強いやつにして もらった。 ......いちおう、アフターピルも出してもらったから」 「伊吹、」 「もしそうい うことになっても、志摩のせいじゃねえよ。 それに、」 言葉以上の意味が声に滲まぬよ う、伊吹はことさらあか るい調子で言った。 「志摩ならいいよ。知らねえやつにレイプさ れるより、志 摩のほうがいい」 志摩の手を握る指先にぎゅっと力を込めてから、伊吹は しずかに手を離した。志摩へ背中を向けて、持ち上げた左 手で襟足を掻き上げる。 「噛んで」 あらわになったうなじに、志摩の視線をかんじる。 ややあって、両肩に志摩 の手が触れた。志摩のにおい。 吐息。熱。地獄のようだったあの夜、ひたすらにほしかっ たもの。 うなじへ彼の歯が食い込む間際、伊吹はぐっと目をつむ り、ごめん、と音にはせ ずつぶやいた。 先週まで秋色をしていた雑貨店のショーウィンドウが、 いつの間にかクリスマス仕様に なっている。 路肩に停めた404号車の運転席から見るともなしにそれ を眺めていた志摩 は、もうそんな時季か、とぼんやり思っ た。ついこのあいだ正月を迎えた気さえするの に、歳を重 ねるごと月日の経つのが早く感じる。 相棒である伊吹藍と番になって、ひと月 が経った。 乞われるままうなじを噛んだその夜は、漠然とした不安 と恐怖とに苛まれてほ とんど眠れなかった。唐突に手中に 落ちてきたひとりの人間の『一生』の重みが、身のう ちへ 呑んだ鉛のようにいまも志摩の腹の底にある。 「お待たせ~」 助手席のドアが開い て、相棒のあかるい声がした。つめ たい外気を連れて車内へ乗り込んできた彼の体から、 かす かなあまい香りがする。番になって以降、志摩の嗅覚は過 敏なほどに伊吹のにおいを 知覚するようになった。それだ けの変化だから特に生活に支障はないが、いかにも獣らし い機能だなと思う。 伊吹は膝の上に置いたレジ袋から緑茶のペットボトルを 取り出すと、 志摩に差し出しながら機嫌よさげに訊いた。 「ピザまんと肉まんどっちがいい?」 「肉まん」 「だと思った」 だったらはじめから訊くなと思ったが、黙って紙包みを 受け取った。思い のほか熱い。伊吹がもう一方の紙包みを 剥ぐと、湯気と共に「ピザまんの匂い」としか形 容できな いそれが車中へ充満した。人工的な香料に上書きされて、 伊吹のにおいが遠くな る。 「あはは、すっげー匂い」 湯気で曇ったサングラスを額へかけながら、伊吹はたの しげに 笑っている。番ってからも、志摩と伊吹はなんら変 わらず『相棒』のままだ。伊吹の体調 も安定しているし、 特段気にかかることもない。 これでよかったのだ、と何度目かの反駁 をして、志摩は 運転席の窓をすこしだけ開けた。 クリスマスも正月も、例年通り仕事に追われてあっとい う間に過ぎていった。世間はすっ かりチョコレートまみれ になっていて、ひな祭りとホワイトデーを終えたらもう春 の内示 が出る。 「あ」 当番明け、連れ立って分駐所近くの牛丼店で朝食を取っ ていたときだ。テーブルの 向かいに座っている伊吹が、短 くふるえたスマホの画面へ目を落として声を上げた。 「ど うした」 「んー、通知きた。あと一週間でヒートはじまるって」 志摩はどきりとして、小 鉢へ伸ばしかけていた箸を止め た。茶碗を置いた伊吹がスマホを取り上げ、液晶画面をこ ちらへ向けてくる。ヒート期の一週間前です、というシン プルなリマインダーが表示され
ている。 「いままではそろそろかなーってかんじでてきとーに薬飲 んでたけど、そういう の管理するアプリあるよってハムち ゃんが教えてくれたんだよね」 「へえ」 伊吹がいまでも彼女と連絡を取り合っていることは知っ ていたが、オメガである ことまで打ち明けているとは思わ なかった。胸のうちをざわりと撫でた不快ななにかから 咄 嗟に意識を逸らし、ポテトサラダを口へ運ぶ。 「ちゃんと薬飲むし、安心して」 にこ やかにそんなことを言われて、志摩は複雑な心地に なった。もちろんそうしてくれないと 困るが、どこか後ろ めたいような気持ちが込み上げてくる。 「こういうアプリができた の、ほんとつい最近なんだっ て。ちょっとずつでも、オメガが生きやすい世界になって く といいよねってハムちゃんが言ってた。俺もそー思う」 「......うん」 この国は、他の先進 国と比べてもオメガ差別の是正に遅 れを取っている。法規が整ったのもここ数十年の話 で、ほ んのすこし前までは彼らを守るものなどなにひとつなかっ た。 志摩と番になっ て、伊吹はすこしでも生きやすくなった のだろうか。たとえいまはそうであっても、この 先だれか に恋をしたとき、あの夜の選択を後悔せずにいられるだろ うか。 拒もうと思え ばいくらでも拒めたのに、志摩はそうしな かった。『相棒』を失いたくないという子供じ みた衝動だ けで、ひとりの人間の一生を自分のものにした。これでよ かったのかと自問す るたびに、永遠に離れない手綱を掴ん で安堵している己が、「こうするしかなかった」と 答え る。 「そういえばさあ、志摩チョコレートいる?」 唐突に話が変わった。なんのことかわから ず目顔で問う と、伊吹はいたずらっぽく目を細めて「もうすぐバレンタ インデーじゃん」 と言った。 「は? おまえから? なんで」 「だって番だし」 「要らねえよバカ」 完全に義理チョコだろ、と言い返しそうになって思わず 言葉を呑み込 んだ。義理で番っているのだから義理チョコ はただしいが、本命ならいいという話でもな い。 「べつに志摩からくれてもいいんだぜ?」 「結構です」 「結構すんなよ!」 くだらないいつものやりとりにほっとする。なにも変わ りない。なん ら問題などない。繰り返し確かめては「これ でよかった」と胸をなで下ろす日々が、決し て『これまで 通り』でないことなど志摩もよくわかっていた。 そういえば今日がバレンタインデー当日だったな、とホ ワイトボードの日付を見て志摩は 思った。 すっかり縁遠くなったイベントにさして関心もなかった が、一週間まえ伊吹とそ んな話をしたことが記憶の片隅に 引っかかっていたのだろう。 「おはよーございまーす」 自分のネームプレートを当番の欄に貼り付けたところ で、背後 から伊吹の声がした。ふと違和感を覚えて振り返 る。 「志摩ちゃんおはよー」 スポーツブランドのネックウォーマーに顎先を埋めた伊 吹が、い つもと変わらぬ笑顔を向けてくる。隣に立った彼 がネームプレートへ手を伸ばそうとした のを遮って、志摩 はとっさにその腕を掴んでいた。 「えっ、なになに」 「おまえ熱あるだろ」 完全な直感だったが、伊吹はあからさまにぎくりとして 頬を強張ら せた。サングラスの向こうに見える双眸が、気 まずげに志摩から視線を逸らす。 「なんでわかんの」 「匂いがいつもと違う」 「俺みたいなこと言ってる」 「茶化すな。なんでかわかんねえけどわかるんだからしょ う がないだろ」 体調の悪そうなにおい、としか説明できない。うまく言 葉にできないのがも どかしいが、普段の伊吹もこんな気持 ちなのかもしれない。 番ってからの志摩と同じよう に、おそらく伊吹のほうに もその嗅覚に変化があっただろう。もとより鋭敏だったそ れが どう変わっているのかまではわからないが、番を誤魔 化せないことは早々に察したらし い。 伊吹はふっとため息をついて、ネックウォーマーの下で もごもごと唇を動かした。 「風邪とかじゃねえよ。薬飲んだから、たぶんそれのせ い」
「薬......」 よくせいざい、とごくちいさな声で伊吹はつぶやいた。 ヒートがきたのだ。 「いままで飲んでたのとちがうやつだし、もしかしたら副 作用が出るかもって医者も言っ てた。ほんとに出るとは思 ってなかったけど」 三ヶ月前のあの夜、伊吹の言っていたこと を思い出す。 これまで飲んでいたものより、効果の強い薬を処方しても らったという話 だった。 志摩を巻き込まないために、万一のことを考えてそうし たのだ。つまり、自分の せいで伊吹はこうなっている。 伊吹はへらりと笑って、志摩ちゃん顔こわいよ、とそら ぞ らしくあかるい声で言った。 「熱あるだけだから、べつにへーき」 「平気なわけあるか。 今日は帰れ」 「志摩ちゃんは心配性だな~、大丈夫だってば」 「伊吹」 両手で肩を掴んで、色硝子越しのひとみをまっすぐに覗 き込んだ。目と目が合っ た瞬間に、熱のせいで潤んでいる それがゆらりと揺れた。 無理やりに笑みを浮かべていた 頬から力が抜け、見る間 に色をなくしていく。 ややあって、ちいさくかすれた声がぽつん と言った。 「......おれ、足手まとい?」 「そうじゃない。おまえのことが大切だから言って る」 あどけないこどものようなその表情が胸に痛かった。な ぜ伊吹が傷つかないといけな いのだと強く思う。苦しいこ とからも痛いことからも守ってやりたいのに、番ったとこ ろ で結局、己は伊吹のためになにもしてやれない。 「......家まで送る。車借りてくるから中で 待ってろ」 弱々しく頷いた相棒のことを、失えないたったひとり を、この腕に抱きしめた いと志摩は思った。それがなんの 慰めにもならないことはわかっていたから、どうにもな ら ない歯痒さを噛み締めたまま、そっと触れていた手を離し てかたく握った。 End
口は災いの元(smibの初夜がっつりうふふって る。) 予想していた通り、ほんの数秒で離れようとする唇をちょんと舌でつついてみると、志摩の 動きが止まる。あれ、もしかして失敗だったかな、と恐る恐る目を開けて様子を伺 おうと した途端、伊吹の視界は反転した。 「し、しま?どうし、ッん、ぅ」 尋ねようとした吐息ごと呑みこまれて、熱い舌に口内をく まなく荒らされる。驚きで縮こまっていた伊吹のそれを探し当てるとすぐ、引きずり出すか のように絡みついてき て、思わず肩が跳ねた。 舌が擦れ合う感覚と息苦しさに段々と思考がぼやけだして、伊吹は慌てて志摩の背中を叩い た。 「...何だ、痛い」 「っ、いやこっちはさ、酸欠で死にそうになってんの」 「苦しいだけ?そんな涙目なのも」 「そ、れだけってことは...ないけども...」 「ならいいだろ」 大体、口で出来ないなら鼻で息すればいいのに、と意地の悪いことを言 う志摩に、そんなの出来るもんならもうしてる、と反論しようと開いた唇はまたあっという 間に塞がれ てしまった。 ソファーに付いていた志摩の手がそろりと移動して、伊吹の耳を覆う。なんだろう、と疑 問に思う間も無く、舌が絡み合う水音が頭の中にひどく響いて、その意図を察し た。 無理 やりにでも性感を高めるような湿った音が恥ずかしくて、涙が溢れる。更に聴覚を奪われた
せいで、舌の熱さも動きもさっきよりずっと鮮明に感じてしまう。感覚が鋭敏 な伊吹に とってはきつい刺激だ。 「ふっ、ン...しま、それっ、耳やだぁ、外して...ッ」 「断る」 「なん、で...も、おかし、ン、」 押し返そうと肩に伸ばした伊吹の手から力が抜けて、やがて志摩のシャツに皺を作るだけ になった頃、ようやく唇が離れる。 飲みきれなかった唾液が伊吹の口の端から垂れそうに なるのを、志摩が乱暴に拭う。その顔をぼんやりと見上げて、ああ、食われる、と思った。 「...しま、すっごいエロい顔してるよ」 「どっちが。折角こっちが我慢してたところをお 前...」 「なんで我慢すんだよ。恋人なんだし、したくて当然じゃん」 「...本当にいいんだ な?」 「だからいいってば」 でも、その前にこれだけは、と出来るだけ軽く聞こえるように、へらりと笑って言う。 「そうそう、俺別に初めてってわけじゃないから、そんな丁寧にしなくていいからね?」 「......ふーん、なるほどねぇ」 あ、これ完全に良くないスイッチ押したな。志摩のこんな低 い声初めて聞いた。機嫌の悪そうな声とは裏腹に、めちゃくちゃ笑顔なのも怖い。 なんだ か室温まで下がったような気さえする、なんて現実逃避をして、それでも終ぞ、今の言葉は 嘘なのだと告げる気にはなれなかった。 あの後、じゃあ準備は任せていいんだな?と尋ねられて、頷くことしかできなかった伊吹 は、風呂場で途方に暮れていた。準備のやり方はこの間調べたから知っているけ ど、まさ かあんなに怒るとは。 ...俺明日起き上がれるかな。 ─とにかく、ここでいつまでも戸惑っていても仕方ない。 どうにか覚悟を決めて、伊吹はシャワーに手を伸ばした。 初めてで慣れないものだからやたらと時間が掛かってしまった。志摩に怪しまれてないと いいけど、と願いつつリビングに顔を出す。 「あのー志摩ちゃん?上がったけど」 「そうか、じゃあ俺も入ってくる。...逃げるなよ」 「っここまで来てそんなことしねーよ...」 「そ、ならいい。先に寝室行ってろ」 そう言われて素直に寝室に来たはいいものの、どんな顔で待っていればいいか分からな い。いっそ横になって寝てしまおうかなんて考えたけど、後が怖いからやっぱりやめ て、 結局ベッドの端に座ることで片がついた。...あれ、なんかこれデジャブだな。 ぐるぐると 考えていると、志摩が歩いてくる足音が聞こえてはっとドアに目を向けた。そうして、入っ てきた彼が、伊吹の様子に吹き出すのを見て少し安心する。良かっ た、さっきよりは機嫌 が上向いたみたいだ。 「お前、また借りてきた猫になってるぞ」 「あ、それか、さっきのデジャブ」 「お前デジャブなんて言葉知ってたんだな...」 「まーたそうやって志摩は俺のことバカに する...」 「してないしてない。...伊吹、もう少し真ん中寄って」 「あ、うん」 言われるがまま内側に寄ると、手首を掴まれてあっという間にベッドに押し 倒される。 「わぁ志摩ちゃん積極的ぃ」 「...流石、慣れてる奴は言うことが違うな」 「はは、まあねー」 一瞬感じた胸の痛みに蓋をして、精一杯の強がりで、優しくしてね、と笑う。するとほんの 少しの間動きを止めた志摩が、ひどく切羽詰まった様子で唇を重ねてきたので、ど うやら これも失言だったらしい。 ──全身が熱い。 あんなことを言ってしまったし、さぞ性急に事を進められるんだ ろうという予想に反し て、志摩の指も唇もあくまで優しかった。 耳も首も胸も腰も、初めはくすぐったいだけ
だったはずなのに、今 やどこに触れられても体が震えてしまう。それを見咎めた志摩がふ っと漏らした吐息にさえ感じる始末で、もうずっと伊吹は快楽の渦 から抜け出せないでい る。 「ぁ、んぅ...ッ」 「だから唇噛むなって」 「だっ...て、ぁ、声、出ちゃう、もん」 「出せばいいだろ...今更そんなことで萎えるかよ」 志摩はそう言うと、怒ったように伊吹の首に軽く歯を立てた。そん な少しの刺激にすら反 応してしまい、とっさにシーツを握りしめる と、目だけで笑われる。 胸へ伸ばされた指 が、散々弄られて赤く腫れたそこを押し潰すよう に触れてくるのが堪らなくて、もう声な ど我慢できるはずもなかっ た。 「ひッ、ぅん、も...そこ、やめ、!」 「なんで、気持ちよさそうだけど」 「っだから、やなんだって... 」 妙に楽しそうな様子の志摩を力なく睨みつけると、今度は 顔を近づ けて舌を這わそうとしているのが見える。その舌の赤さがやけに目 について、止 めるのが遅れた。 「ゃ、やだ...それは、ほんとにっ、むりぃ...ッッ!ぁ、」 「ふ、敏感で何 より、だな」 「うぅ...っしまの、意地悪魔人...」 ─これ以上されると本当におかしくなるから、と必死に頼みこんだ のに、もうちょっと、な どと言って聞く耳を持たなかった志摩がよ うやく身を起こした頃には、時計の針は優に一 周以上していた。 長い時間をかけて熱を高められたせいか、志摩の指が後ろに触れ ても、恐怖どころかやっ とか、という気しか起きなかった。 焦れったいぐらいゆっくりと差し込まれた指が、何か を探すように ぐるりと回される。自分でも準備したとはいえ、やはり異物感がひ どくて息 を詰めた伊吹を宥めるように、志摩が深く口付けてくる。 「ン、ふ...ぅ、ッぁ、!」 「っは、ここか」 熱い舌の感触に目を閉じて感じ入っていると、他とは明らかに違う 感覚 がして、伊吹は目を見開く。気持ちいい、というほどではない が、どこか腰の奥が疼くよ うな感覚。 その反応を見逃さなかった志摩は、もう一度そこを撫でるように触 れつつ、同 時に前にも手を伸ばす。長々とした前戯のせいで濡れそ ぼったそれを擦られると、もうひ とたまりもなかった。 「!や、ぁ...そ、れやだッ、いっちゃう、からぁ、ッ」 「一回イっと け」 「待っ、て...ぁ、いく、いっちゃ、っ!」 目の前が真っ白になる。焦らされた分、絶頂から なかなか降りてこ られない。志摩の唇が、達した拍子に涙を零した目尻に触れてくる だけ でも肌が粟立つのに、後ろに入れたままの指は更に容赦が無か った。 はあはあと乱れる息 をなんとか整えようとする伊吹にお構いなし に、その指が今度は先ほどよりも強くそこを 押しこんでくるものだ から、満足に呼吸もさせてもらえない。 「ぅ、おねが、ァ、 ちょっ、と、止まれってぇ...っ」 「痛いのか?」 「ッたくない、けど、今、そこダメ、ほん とに...ダメなの、ひ、 ぃ」 「...痛くないなら続けてもいいな」 「ゃ、まじで...むりっ、だってば、ァ」 ──ああ、本当 に、あんなこと言うんじゃなかった。 グチュ、という粘着質な音に混じって、聞くに耐えない掠れて上 擦った声が聞こえてく る。一拍遅れて、これが自分の声だと気付く ものの、もう伊吹にはそれを抑える術も気力 もない。 「ッ、ぁ、ねぇしま、しまちゃ、も入れてよぉ...っ」 「入れてるだろ?」 「ちがっ、指じゃなく、って...ひ、ぁ」 「...まだダメだ、もうちょっと広げないと」 「な、んで...もう、っや、やだぁ、ァ...またい、く──ッッ!」 何度目かの絶頂でぼやけた頭 で考える。あれからどれだけ時間が 経ったのだろう。ほんの10分程度のような気もする し、もう何時 間もこうされてるような気もする。 最初こそ違和感が大きかった後ろは、今 ではいとも簡単に快感を拾 うようになっていた。ただ抜き差しされるだけでも気持ちよく
て、 時折バラバラと動かされる指が弱い部分を掠めでもしたら、体が跳 ねるのを抑えられ ない。 ─ 信じられないことに、もう後ろへの刺激だけで吐精できるよう になってしまった。それ もこれも志摩がねちっこいせいで、と快感 に蕩ける脳内で恨み言を言う。そろそろ入れて くれないと、本格的 に意識が飛びそうだ。 志摩にだって気持ちよくなってほしいのに、自 分ばかり高められ て、こんなんで本当にセックスしてるって言えるんだろうか。 それに、 さっきからずっと涙が止まらなくて、志摩がどんな顔をし てるか分からない。...やっぱり まだ怒ってるのかな、だからこんな に一方的なのかもしれない。 伊吹は、力の入らない自 分の腕を叱咤しつつ持ち上げ、志摩の手首 を掴んでやっとのことで止めた。 「...なんだ」 「も、分かるだろ...っ入れろよ」 「......」 「ねえ、なんで、そんな怒ってんの...」 声の出し過ぎで痛む喉を押して、ずっと気に掛 かっていたことを尋 ねる。 「やっぱり、俺が初めてじゃないって言ったから? っだから、やだった?」 「...はあ?」 心底意味が分からないとでも言いたげな志摩の声に、また新たに涙 が湧いてく る。感情の制御がどうにも上手くいかない。 「だ、だって、初めてだって言ったら重いよなって思ったんだも ん。慣れてることにすれ ば、志摩も、俺に手を出しやすいと、っ思 って、」 「伊吹、落ち着け。ちゃんと息しろ」 子供みたいにしゃくりあげると、徐々に呼吸が苦し くなってくる。 苦しげに胸を喘がせる伊吹を見て一つ舌打ちを落とした志摩は、そ の体を 起き上がらせ抱き寄せる。 「大丈夫だから。お前が初めてだろうがそうじゃなかろうが、 そん な事で気持ちは変わらない」 「っ、は、じゃあなんで、あんな...」 「...単純に嘘つか れて腹が立ったし、寂しかった。俺は、初めてじ ゃなくて手間が省ける、助かったー、っ て言うような男だと思われ てるのかって」 だから嫌ってほど丁寧に抱いて思い知らせてや ろうと、こんな風に 追い詰めてしまった、悪かった、と苦い声で謝られて、伊吹は目を 丸 くする。その拍子に目のふちに溜まっていた涙が落ちて、ようや く視界がクリアになる。 そっと体を離して、志摩の顔を見る。眉間にシワを寄せてるのは頂 けないが、いつもの彼 の、伊吹の恋人の顔だった。 ほっと息を吐く。涙はもう止まっていた。 「...なんで初めてだって分かったんだよ」 「あのなぁ、俺がちょっと距離を詰めようとす る度に身を固くする ような奴が、初めてじゃないなんて信じられると思うか?」 「え、俺 そんなんだった?」 「あんまりビクビクしてるから、いたいけな子供に手を出そうとし て る悪い大人になった気分だったな」 「そ、そこまで...」 「まあ他にも色々理由はあるけど、一番はそれ」 「まぁじか...」 自分は思っていた以上に何も隠せてなかったし、志摩は想像よりず っと、 伊吹の様子に敏感だった。 ...面倒だなんて思われるはずなかったのに、バカなことを言っ てし まった。 「あの、志摩」 「うん」 「嘘ついてごめんなさい...」 「...もういいよ。俺もやり過ぎてごめん」 伊吹が落ち着いたのが分かったのだろう。肩を軽く押されたので、 素直にそれに従って ベッドに背を預け、志摩を見上げる。 続き、していいか?なんて、またあの熱の籠った目を して聞いてく るから、返事の代わりに彼の首の後ろに腕を回した。 少し時間があいてしまったから、とまた丹念に慣らそうとする志 摩を必死に止めて、どう にか挿入にこぎ着けたまではよかった。 手早くゴムを着ける指の先にあるものを見て、伊 吹ははたと我に返 る。 ─さっきまでそれどころじゃなかったけど、コレほんとに入る? 「...しまぁ、も、もうちょいソレ小さくできない?」 「バカなこと言うな、無理に決まって るだろ」
「だよねぇ...」 「...お前さっきまで、入れてぇ、とかねだってなかったか」 「そっそんな こと、は言ったけど、そんな言い方はしてねえよ!」 不毛なやりとりに深いため息をついた 志摩が、ふと悪い顔になり伊 吹の耳元に唇を寄せる。 「...俺もいい加減限界なんだけど」 「ッひ、そこで、喋んな、って...ぁ、待って、」 「─悪 い、待てない」 すっかり弱くなった耳への刺激に気を取られていると、後ろに熱い ものが 当たる。慌てて制止しようと伸ばした手は、指を絡められて ベッドの上に押しつけられて しまった。 しっかり解されたそこは、ローションの滑りも手伝って、大した痛 みもなく志摩の熱を呑 みこむ。 「ン、っあ...や、うそ、は、入っちゃ、~~っ!?」 「ッやっぱり、キツいな...大丈 夫か」 体を押し開かれる衝撃に身を縮めると、同時に後ろも締めつけてし まい、志摩が小 さく呻く。 そのせいで彼の熱をまざまざと感じる羽目になった伊吹は、縋るよ うに絡めた 指に力を込めた。 「ぅ...へーき、だけど、っまだ、動かな、で」 「...痛いなら、一回抜い てもいいから」 「ゃ、抜くのも、だめ...っ! そう、じゃなくて...ッよ、良すぎて、ヤバいん だって...すぐ、いき そ、っ、」 そう言った瞬間、中の質量が増した気がして、思わずひ、 とか細い 声が漏れる。 「...へえ」 「ッは、ぇ、なに、でかく、して...?」 「伊吹、お前な。そういうのを、逆効果、って言う んだよ」 どういう意味、と問う暇もなく、志摩が腰を進めてくる。...嘘だ ろ、まだ全部 入ってなかったのかよ。 「ひ、ゃ、まって...も、これ以上、入んないぃ...っ!しまぁ、む り、──ぅ、ぁ、」 「...ごめん、あとちょっとだけ我慢、な」 指よりもずっと長大なそれに、内奥まで侵され る感覚に無意識に腰 が浮く。そのせいで繋がる角度が変わり、更に深くまで入り込むこ と を許してしまった。 「!?や ゙、これ...奥まで、入って、~~ッ!」 「っ...伊吹、力抜け、動け ない」 「ぅ、む、無茶、言うなって...ッくる、し」 圧迫感に体を強張らせるその様子を見 兼ねて、志摩が絡めていた指 をそっと外し、涙や汗で張り付いた伊吹の髪を払う。 そし て、露わになった額に唇が落とされる。ちゅ、という場違いな ほど可愛らしい音が何だか おかしくて、伊吹はようやく詰めていた 息を吐き出した。 「......っあ、れ?なんか...中おかし、っ」 「大丈夫そうだな」 「え、──あ、ぅあ、」 緊張が解れた途端、それまでぎゅうぎゅうと締めつけるばかりだ った内壁が誘うようにうねり出す。その変化に戸惑いながらも小さ く声を漏らすと、腰を 強く掴まれて、ゆっくりと抜き差しされる。 途中で、指でも散々触れられた弱いところを 抉られて、伊吹は必死 に目の前の体にしがみついた。 「ひ、ぁ...そこ、そこやだ、っ、」 「っは、伊吹、そういう時は『嫌』じゃなくて、『い い』って言う もんなの」 「あ、ゃ ゙、いい...そこ、気持ちいいから、ッ、あんまり、擦ん な ってぇ...ヒ、ぅ」 「はいはい」 気持ちいいのはそこだけじゃない。志摩が腰を動かす度、ゆるく立 ち上がっ た自身が彼の腹と擦れて目の前がチカチカするし、圧迫感 が強かった奥を優しく突かれる と、痺れるような快感に襲われる。 一杯一杯になって志摩の背中に回した腕に力を込める と、律動が一 層激しくなる。お互い限界が近い。 「ぁ、しま...おれっ、もういっちゃ、ぁ ゙...!」 「...俺も、そろそろ、いきそ...っ」 「っも、むり...い、く、──っっ!」 だめ押しの ように奥を突かれて、背中が反る。無意識に逃げようと ずり上がる腰を、押さえつけてく る手の熱さにすら感じてしまっ て、伊吹は一際大きく体を跳ねさせて精を吐き出した。 深 く長い快楽に身を委ねていると、志摩が抽送を再開する。 「─ひ!?しま、だめっ...おれ、今 いったばっか、ッなの、にぃ、」 「あとちょっとだけ、頼む、──藍」 「!や......それ、ず りぃよ、ぁ...もう、やぁ ゙っ」 「─っ、!」 名前を呼ばれた瞬間、ただでさえきつく締めつけていた内壁が搾り 取るように 蠢き、その刺激に堪らず志摩も吐精した。
ずる、と熱が抜けていく感覚に伊吹が小さく震えるのを見て、志 摩が唇に触れるだけのキ スを落とす。 しばらくの間互いの荒い呼吸だけが響いていた室内に、伊吹の呟き が落ち る。 「志摩ってさぁ、」 「なんだ」 「俺のこと、結構好きだったんだね...」 「突然どうした......うわ、お前顔真っ赤だぞ」 「っだって、あんまり態度とかに出さないじゃん! それなのに、こ、こんな抱かれ方した ら、そりゃ自惚れもするだ ろ!」 「......自惚れ?」 あれ、この声の低さ、妙に聞き覚えがあるような。 志摩の顔を見るのが怖 い。 「あの、志摩さん?」 「あなたが俺のことをどう思ってるのかよーく分かりましたとも、 藍さん?」 ピリ、と袋を破る音が聞こえて、まだ柔らかい後ろに熱いものが擦 りつけられ る。 「や、今日は、もう無理だって...!」 「俺もそう思ってたけど、どうにも俺の気持ちが伝 わってないよう なのでね」 「ご、ごめ...っぁ、う、も、許して...っ、」 「...謝ってほしいわけじゃない、ただ、」 ゆっくりと入ってくる熱に伊吹が身悶えている隙に、背中に腕が回 され、あっという間に 抱き起こされた。──嫌な予感がする。 「~~っっ、ぁ ゙、」 「ただ、俺ももう少し愛情表 現を分かりやすくするべきかなと思っ て」 「っひ、しまぁ、これ...ふかっ、ぁ」 力の抜けた足が支えになるはずもなく、自重に任せ て座りこんでし まったので、今までより更に深くまで受け入れてしまう。あまりの 衝撃に 目が眩み、思わずしがみついた志摩の背中に爪を立てる。 「っなあ、藍」 「ぅぁ、な、に」 「好きだ」 「──ぁ、」 耳元で囁かれて心臓が跳ねる。 快感に耐えようときつく瞑っていた瞼を開けてみたら、志 摩の赤く 染まった耳が目に入って、ふと思う。 「っねえ、しま」 「どうした」 「キス、して」 「......もちろん」 すぐに入ってくる熱い舌に自分のそれを絡ませつつ、もう好きにし てく れ、と許容とも諦念ともつかぬ気持ちになりながら、伊吹は再 び目を閉じた。 「志摩のエロエロ大魔人...」 「ついに大が付いたか...」 「泣きすぎて目は腫れるし、声は枯れるし、足の開きすぎで股 関節はギシギシするし!あとほかにも...ッゲホ」 「ほら喉痛めてるんだから、あんまり大声 出すなって」 「誰のせいだよ...」 「俺です、ごめんなさい」 喉の渇きを覚えて目を覚ました伊吹が隣を見ると、そこに志摩の姿は既になかった。キッ チンの方で何やら動く音が聞こえたので、そちらに向かおうとベッドから下りよう とした のだが。 どん、という音と共に視界が低くなり、しばらく何が起きたのか分からなかっ た。音を聞きつけて慌ててやって来た志摩に、もしかして立てないのか?と問われて初め て、腰 が抜けて尻餅をついたのだと悟った。 どうしよう、と志摩を見上げると、相当困っ た顔をしていたのか、俺のせいだな、と謝りながら持ち上げられて、伊吹はベッドの住人に 逆戻りしたというわけだ。 「とりあえず、水持ってきて...喉渇いた」
「分かった」 昨晩やり過ぎた自覚があるのか、やけに低姿勢な志摩に吹き出しそうになり つつも、伊吹はわざと不機嫌そうな声を作る。 キッチンに向かおうとする背中を見て、不 意に思い出した。──そうだ、朝起きたらまずこう言いたかったんだ。 「なぁ志摩」 「なんだ?」 「...俺も好きだよ」 いざ口に出してみると、なんとも恥ずかしい。顔に血が上ってくるのが分かって、慌ててタ オルケットを被る。 布一枚隔てた向こうで、志摩が笑う気配がする。 「名前では呼んでくれないのか?」 「.........っ」 「あれ、藍さーん?」 「それは!また今度でお願いします!」 「ふっ、はいはい」 布越しに頭を撫でて、志摩が部屋を出て行く。 その感触を噛みしめながら、口の中で小さ く、一未、と呼んでみる。自然に呼べるようになるのには、まだまだ時間が掛かりそうだ。 名前を呼ばれて嬉しかったから、出来るだけ早く呼べるといいな、と思いつつ、伊吹は恋人 の帰りを待つのだった。
突然おにぎりが食べたくなった日の話 俺はよく、朝起きた時、急に「あ、〇〇食べたい」と思う時があ る。ガッツリしたものか らあっさりしたもの、甘いものと様々だ が、その日俺が食べたいなと思ったのはおにぎり だった。コンビニ とかで売ってるものじゃなくて手で握ったおにぎりがどうしても食 べた くなった。 思い立ったら即行動、俺はさっさとベッドから出て、さっさと顔を 洗い、キッチンへと向 かった。 昨夜、炊飯器の予約スイッチ押しといてよかった、そんなことを思 いながら炊飯 器を開けるとほかほかつやつやにお米が炊き上がって いた。一旦炊飯器を閉めて、次は冷 蔵庫を開ける。 さて、何を入れようかな。明太子もあるし鮭もフレークだけどあ る、それ に趣味で漬けてる自家製の梅干しもある。うん、ばっちり じゃん。 いきなり握るのはさすがに熱くて火傷をしちゃいそうなので、ご飯 をどんぶりに移して ちょっとだけ冷ます。 その間に中に入れる具を食べやすい大きさに切ったり潰したり、海 苔の準備をする。 つい鼻歌を歌っていると、ガタッと物音がした。 恋人である志摩が少し遅れて起きたん だ。多分、顔を洗いに洗面所 に行ったのだろう。 志摩はなんのおにぎり食べたいって言う かな~そんなことを考えて いたら、顔を洗ったはずなのにまだ眠そうな顔をした志摩がリビ ン グにやって来た。 「おはよ~、朝ごはんはねぇおにぎり!」 「おにぎり...」 「うん、なんかね起きたら食いてぇ~!ってなったの!ご飯昨日炊 いといて正 解だったわ~、パックご飯もあるけどやっぱおにぎりは 炊いたお米じゃないと!」 「コンビ ニ以外のおにぎりとか久々だわ」 「まじ?!俺は結構自分で握ったりするよ~具はね、明太子 と鮭と 梅干し!」 「最高、全部好き」
嫌いな具材がなくてよかったとホッとしているとお米がいい感じに 握りやすそうな温度に なっていたのでラップを準備して、その上に おにぎり一個分のお米を載せる。真ん中にく ぼみを作って具材を置 く、まずは明太子おにぎりだ。なんで明太子と白ご飯って最高の組 み合わせなんだろうな~、そんなことを考えていると後ろからギュ ッと志摩に抱きしめられ た。 肩口に顔を埋めてぐりぐりと頭を擦り寄せてきた、かわいい。 「なぁに~?しまちゃん甘えんぼさんだね~」 「いいだろ、包丁も火も使ってないし」 「は いはい、全然いいですよ~」 甘えんぼできゅるきゅるな志摩にちょっとニヤニヤしつつ、ラップ で包んだおにぎりにな る前のお米をぎゅっぎゅっと三角に握る。も う美味しそう。 志摩も俺の肩越しに志摩も興 味津々そうにこちらを覗いている。 志摩も握る?と聞いてみたら俺は握ってる藍を見ていた いなんて 甘々な台詞が飛んできた。 「あ、そうだ。この梅干しね、はちみつ梅なの。初めて作ってみた けどどうかな」 「ん」 「ん?」 「あーん、してくれないのか?」 「します。超します」 少し身を捩って、志摩の開いた口に初めて作ってみたはちみつ梅を 入れる。 志摩はもぐも ぐとハムスターみたいに咀嚼して梅干しを食べ、「う まっ」と言ってくれた、よかった大 成功だ。 心の中でガッツポーズをしていると志摩はもごもごと種を口から出 して、少し腕 を伸ばして三角コーナーにそれを捨てた。 「甘いのかなと思ってたら、ちょうどいい酸っぱさもあってこれは 子供とかでも食べやす そうだな」 「でしょ~!これを潰して塩昆布と混ぜておにぎりにすると美味し いんだ~」 「聞いただけで美味そう...」 「っと、あ、やっべ、塩昆布出すの忘れてた...」 俺としたことが梅干しは潰して準備してたけど大事な塩昆布を忘れ ていた。確かまだあっ たはず...と一旦志摩の腕から抜け出し、塩昆 布を保管している場所へ向かおうとしたら行 かせるかと言わんばか りの力で引き止められ腕の中へと戻された。 「ん~?しまちゃーん、離してくれないとおにぎり作れない よ~?」 「おにぎりより藍を食べたい」 「ええ?!今日のしまちゃんイケメン魔人じゃん!何?ドッキ リ?」 「ドッキリなんかじゃねぇよ」 そう言って志摩は俺の顎をクイッと持ち上げた、「顎クイを自然と やってのけた、今日の しまちゃん本当にイケメン魔人」なんて思っ ていたらそのままキスをされた。甘えからく るかわいいそれかなな んて思っていた次の瞬間、口の隙間から舌を差し込まれた。 驚いて いる間に舌を絡められ、キッチンにぴちゃぴちゃという音が 響く。 「んッ、ぅ、ふぁ...」 息も絶え絶えになっていると唇を離される、え、もう終わり?と思 っていると今度は項に ちゅっちゅと口付けられる。暫くするとカプ リと歯を立てられた、俺がピクッと反応する と志摩は「ふっ」と笑 い、今度はチュウチュウとそこに吸い付いてきた。 「ぁ...ッ、痕は、だめぇ...そこじゃあ、見え、ちゃう...ッ!」 「分かってる...はぁ、でもつけ てぇ...」 志摩は意外とキスマークをつけるのが好きだ。服を着て見えない 所、胸元や内腿、脇腹... 数えだしたらキリがないのだがとにかく痕 をつけるのが好きなのだ。見えるとこにつけた いと上目遣いで強請 られたことがあって、そのきゅるきゅるさにいいよと言いかけた機 会 が何回あったことか...。そんなことを考えていると今度は耳朶を 裏側からぺろりと舐めら れ、いつの間にか志摩の手は俺の服の中に いて、乳首を弄り出した。 「ぃや...ッ、耳と、胸ッ...いっしょにしないで...!」 「その割にここは立ち上がって喜んで るぞ」
志摩に弄り倒されて、敏感になった乳首は少し触られただけでもう ぷっくりと膨らんで志 摩の手に反応している。 それに加え、これまた敏感である耳を嬲られる。ダイレクトに耳 を しゃぶる音が鼓膜に響く。 いつもなら向かい合ってされるそれが今日は後ろからされている、 顔が見えない分違う人 から与えられてるみたいで変な感じがするは ずなのに手つきや舌遣いは志摩のそれだから 不快感はなし、いつも 通り興奮してしまう。 志摩も同じなのか、さっきから志摩の固く なったソレが俺の尻に擦 り付けられている。 「ッはぁ、しま、超たってるね...」 「藍だからだよ」 「ん...ッ、ね、もっと...シて...」 「さっきまでいやいや言ってたのに、本当に藍はしょうが ない子だ なぁ」 そう言って、志摩は俺のスウェットと下着を一緒に脱がせ、反応し 始めていた俺自身を包 み込み、ゆっくりと扱き始めた。志摩はいつ もまるで壊れ物を扱うかのように優しく俺自 身を触ってくる、それ がすごく嬉しくてさっきよりさらに大きい声を上げて反応してしま う。 「うぅ...ッ、あ、ん...!」 「ここもすぐ大きくなるようになったなぁ」 「だって...ッ、きも ちいいんだ、もん...!」 今日は立ったままなのもあり、志摩から快感を与えられる度につい 手の力が抜けて、前に 倒れそうになるのを必死にキッチンの天板に しがみつくのがやっとな状態だ。 そんな俺を 見て志摩はしっかりと俺の腰を抱いて支えてくれた。優 しい。 「もう少しだから、頑張ろうな」 「あぁ...ん、ぅん...ッ」 「ローションは...しまった、寝室か...なんか変わりになりそうなも の...」 志摩は俺のナカを解すために使うローション代わりになりそうなも のを探している、でも 俺を弄る手は止まらない。 今は一旦俺自身から手を離して、再び服の中に手を忍ばせて、 両乳 首をコリコリと爪で引っかかれている。 気持ちいい、でも早くナカも触って欲しい... つい俺は脚をモジモジ させてしまう。 「モジモジさせて、子鹿みたいで本当に可愛いな、藍は」 「かわいく、ない...ッ」 「可愛 いよ、超きゅるきゅるしてる」 そう言って、志摩は代わりになるものを見つけたのか少しだけ俺か ら身体を離してゴソゴ ソと調理台にある調味料の収納を漁る。取り 出したのはオリーブオイルだった。 確か前に カプレーゼが食べたいと思った時衝動買いしたちょっとお 高いやつだ...あの時のカプレー ゼ美味しかったな...なんてちょっと 的はずれなことを思い出していると背後からキュポン と蓋の開ける 音が聞こえ、独特な香りが俺の鼻孔に広がった。 「ごめんな、ちゃんとしたローションじゃなくて」 「ぅん...、大丈夫...大丈夫だから、はや く、キて...?」 俺は強請るように腰を突き上げた、そんな俺を見て志摩は「挿れる ぞ」と優しく耳元で囁 いた。 咄嗟に口が上手く回らなくてコクコクと頷くとトロリと尻の谷間に オリーブオイル を垂らされ、滴るそれを志摩は指に絡めて周囲に塗 り込んだ。 ぬちゃりぬちゃと音を立て ながら、つぷりと指が1本入り込んでき た。 志摩はいつも指の中で一番長い中指から挿れ るてくる。次に人差し 指が入ってきた。2本の志摩の指が第2関節まで埋まるとばらばら と 動き出した。 「すげぇ、オリーブオイルの匂い...」 「ん...、そ、だね...ぁん...ッ!」 「なんだ、いつもと 違う匂いに興奮してんの?」 その通りだ、オリーブの香りが今セックスしている場所がふかふか のベッドではなくキッ チンだということを知らしめてきた。 志摩も同じことを思ったのか、さっきより固く大き くなった志摩自 身がゴリっと擦り付けられた。 早く、早く、俺のナカに挿れてよ...俺はそ ういう気持ちを込めて腰 を揺らした。
「あーい、あともうちょっとだから」 「はやく...ッ、はやく、藍のナカ、キて...ッ!」 半ば叫ぶみたいに主張すると、3本目の指が入ってきた。俺のナカ は志摩の指をしっかりと 咥え込み締め付けた。 もう立ってるのが限界で倒れ込んじゃいそうだ...そう思いつつも何 とか腕に力を込める、そして、身を捩り何だか久々に見た気がする 志摩を見つめる。 「どうした...?辛いか?」 「ちが...ッ、ちゅう、して...?いつもとは違う体勢だから...」 「あぁ、確かにいつもよりしてないな」 志摩は少し身を屈めて、俺にちゅっと口付けた。でも、足りなくて 今度は俺から舌を志摩 の口の中に捩じ込んだ。 ちゅっちゅと口から発せられる音とぐちゅぐちゅと下から発せら れ る水音が俺たちをより興奮させた。 吸い付くかの如く志摩とのキスを堪能していると、 ナカの指がぐる りと掻き回されそこから出てきた。 ようやく、ずっと押し当てられていた 志摩のそれが俺のナカに入っ てくるんだ...そう思っただけで俺の入口はひくひくとそれを 待ち侘 びていた。 「じゃあ、挿れるぞ...」 「ん...ッ」 「こんな時に言うのも悪いがゴムも寝室なんだ...取りに行った方が いいか?」 「なに、言ってんだよぉ...もう、オリーブオイル、つかってる時点 でそんなのわかってた よ...そんなのいい、ッ、からぁ...!はやく... ッ」 「わかった、後処理とかちゃんと手伝うからな...ッ!」 そう言って、志摩は俺の腰を掴み、固くて大きくいきり勃った志摩 がナカにぐぷりと入っ てきた。やばい、もう飛んじゃいそう...。超 気持ちいい。 一気に奥へと入ってきた。 「しまちゃ...ッ、きもちいぃ...?」 「あぁ、めちゃくちゃ気持ちいい...藍は?キツくない か?」 「んぅ...ッ、だいじょぶ...志摩で、おなかいっぱいでね、きもちい ぃ...」 「ッ!、本当に...どこでそんな言葉覚えたんだよ...」 「あぁ...ん!おっきく、なったぁ...ッ!」 志摩自身がナカで大きくなったのを感じて、その満腹感が嬉しくな っていると志摩は手を 伸ばして俺の腹をそっと円を描くように撫で てくれた。 撫でてくれるのも嬉しいけど、 もっとちょうだいと思いながらぎゅ っと締め付けると、志摩は嬉しそうに笑ってゆっくり と動き出し た。 「っ、あ、あぁ...んぅ...ッ」 「はぁ...ッ、最高...」 「きもちぃ...ッ、し、まぁ...もっと...、もっとちょうだい...ッ」 「合 点、承知之助...!」 志摩は俺の腰を力強く抱え直し、さっきとは比にならないぐらい激 しく腰を打ち付けてき た。パンパンと尻に志摩の下腹部がぶつかる 音と互いの吐息と喘ぎ声がキッチンに響く。 まるでAVの人妻モノみたいな光景だな...とふと思ってしまった。 しかし、志摩は一瞬でも 俺が違うことを考えていたのが分かったの かズンッと1番奥を、俺の一番気持ちのいいとこ ろを突いてきた。 「ひっ...あぁ、んッ!!も、だめぇ...イッちゃう...!」 「いいよ...っ、イッて」 「ん...ッ」 腰の激しい動きとは裏腹に優しく俺自身を扱くとあっという間に射 精した。 着たままのグ レーのパーカーにべっとりとついた精液がぽたぽと床 に垂れる。息を整えるために下を向 くと点々と散った白濁が目につ き顔が暑くなる、そんな中志摩は再び腰の律動を再開させ た。 「ッはぁ...ぁ、まって...、おれ、いま、イッたばっか...!」 「悪い、俺ももう限界...ッ」 「あぁ...ッ!や...ッん、しまぁ...ッ!」 「藍...ッ」 もう俺は腕の力がつきて上体をうつ伏せに天板に倒すと、志摩はガ バッと俺のパーカーを 捲り背中の肩甲骨あたりをガブリと噛まれ た。 その感覚に上擦った高い声を漏らすと志摩 は俺の尻たぶを左右に押 し開き、一気に貫いてきた。 志摩の乱れた息遣いが項に掠って
擽ったい、でも気持ちいい。今志 摩の全部を感じているんだと噛み締めていると ナカにい る志摩からドクンと強く脈打った。 「ぅあ...ッん!」 「...ッ」 志摩の下腹部がビクビクと痙攣しているのが感じる、志摩も果てた んだ。 志摩の精液が腹 の中に流れ込んで来た。嗚呼、本当にお腹がいっぱ いだ。 息を整えた志摩がズルリと俺の ナカから出ていくと、もう一度、俺 の項にチュッと口付けを落とす。 今日はそこにするの が気に入ったんだなぁと思っているとピリッと した痛みを感じた。ダメって言ったのにキ スマークをつけられた。 「ッんぅ、だめって言ったじゃん...」 「エロい項がむき出しなのが悪い」 振り返って文句を言った俺に黙れと言わんばかりに口を塞がれる。 ちゅっちゅと鳥が啄む みたいにキスを楽しむ、もっと、後ろからの 体位で出来なかった分たくさんしたくて俺は 振り返って志摩の首に 腕を回してキスを強請る。志摩も俺の腰に腕をしっかりと抱き寄せ て口付けに応えてくれた。 「んむぅ...ッ...」 「はぁ...、随分甘えただな」 「だって、さっきのえっちのとき、後ろからであんまり出来 なかっ たから...だめ?」 「全然、でもさっき中に出したから、風呂場に行こう?な?」 「... もっとちゅうしたい...」 「風呂場でいっぱいしてやるから」 そう言って、もう1回ちゅっと口付けられた。その優しいキスにほ っとして腰が砕けてしま い、ペタリと床にへたりこんでしまった。 志摩はさっきの詫びだ、キッチンの掃除をしてくるからゆっくりしてろと先に風呂から出 た。 俺は志摩の言葉に甘えて、ゆっくりと風呂に浸かってリラックスすることにした。水面に浮 かぶアヒルを手に取りじっとその可愛い顔を見つめる。 「ここで2回戦しちゃってたらおに ぎり所じゃなかったな...」 俺の呟きは浴室に響いて消えた。 でも、思っていたことは事実でここで2回戦目をしていた ら今頃2人してグダグダになって寝ちゃったりとかして、当初の目的だったおにぎりなんて 辿り着けずお米と具材を無 駄にするところだったなぁ。 ふふっと1人笑って、アヒルを再 びお湯に浮かべた。さて、髪の毛と身体を洗ったらちょうどいいタイミングかな、そう思っ た俺はザブンっと浴槽から出た。 身体がホカホカになり、新しく用意された下着と服を身に付けリビングへ戻るとローテーブ ルの上にちょっと大きめの三角に握られたおにぎりが3個乗ったお皿が置かれてい た。 「おにぎりだ...」 「あぁ、上がったのか。これもお詫びだよ、食いたがってただろ?具はヤ る前に藍が用意してたやつだけど」 嬉しい、確かに俺はおにぎりが食べたかった、でもまさかそれを志摩が握ってくれるなん て...。嬉しくってついそのおにぎりを食べずにじっと見つめていると志摩はふはっと 笑い ながら俺の横に腰を下ろした。 「どうした?食わないのか?」 「食う!食うけどなんか志摩が作ってくれたことに感動し ちゃって...!」 「なんだそりゃ握っただけだぞ?」 「ふふっ、ねぇねぇ、このおにぎり大き くない?俺が握るのよりだいぶ大きい!」 そう、志摩の握ったおにぎりは俺が普段握ってるものより2倍ほどのサイズで漫画で見たこ とあるような大きくて三角なものだった。 「あぁ?悪いかよ、それが志摩家のサイズなんだよ」 「えぇー!しまちゃんって兄弟5人もい るんでしょ?!ならちっちゃいおにぎりたくさん作った方が喧嘩とかにならなくない?」 「甘 いな伊吹巡査部長は、確かに昔はそうだった。でもな、そう作るとパッと見1人何個おにぎ りを食えるか分からなくなって兄貴の方が多く食べた!とかの一言で大戦争が 勃発だ。それ を見兼ねたお袋が大きく作ることで1人何個食べれるか明確化したんだ」 「へぇ~...だからこんなに大きいんだぁ」
大きなおにぎりを1口頬張る。美味しい、明太子が入っている。 俺が朝からずっと食べた かったおにぎりだ。幸せをかみ締めながら食べていると志摩も皿に手を伸ばしておにぎりを 食べた。 「俺のははちみつ梅と塩昆布のやつだ。藍が話してたやつ作ってみたんだ、ほら」 そう言って俺におにぎりを差し出されたので一口頬張った。うん、塩昆布のさっぱりとした 味とはちみつ梅の甘酸っぱいのがマッチして美味しい。 お礼に俺の持っていた明太子おに ぎりを差し出すと、志摩もそれをぱくりと一口頬張り「うまっ」と言った。 なんだかそれ がすごく幸せでいつもよりおにぎりがめちゃくちゃ美味しく感じた。 大きなおにぎりも あっという間に食べ終えた俺は指に米粒がついているのに気づいたのでそれをぺろりと舐め る。すると、何か横から視線を感じた。まあ志摩なんだけど。 「ん?しまちゃんも明太子のおにぎり食べたかった?」 「いや...」 「変なしまちゃーん!あ、これ鮭おにぎりかなぁ?半分ずっこする?」 鮭おにぎりを二つに割ろうとするとその手を取られ、おにぎりを皿に戻された。その様子を ぼんやりと見ていると志摩にキスされた。海苔とお米、はちみつ梅と塩昆布にほん のりと 明太子の味がした。 なんか面白い味のキスだなと思い、その口付けを受け入れていると、口の隙間から志摩の舌 がそろりと入ってきて俺の舌と絡まりあった。 「んぅ...、ふぁ...ッ」 指も絡ませ合って、キスを繰り返す。 そうしてるうちに俺はころんと柔らかいラグの上に 押し倒されていた。そして、いつの間にか大きくなっていた志摩自身をゴリっと擦り付けら れた。 あれ?もしかしてここできゃっきゃうふふ2回戦目っすか? 「ぅえ、ここで...?」 「ダメか?」 「うぅ...ずっちぃよ...俺がしまちゃんのそういうきゅるっとしたオネダリ顔に 弱いの分かってわざとやってるでしょ...」 「ちっ、バレたか...」 「そりゃあ、最近そういうの増えてたからね...いや...、スるのはダメじゃないの...けど...」 「けど?」 「ほら、ゴムとかローション...とかぁ?」 別になくてもいいっちゃあいいんだけど...そんなことを考えていると志摩はローテーブルの 収納(あ、そのテーブル収納機能あるんだ)をゴソゴソと漁り始めた。一体何が出て くるん だ?と思っているの「てってれー」と言って取り出したものを見せてくれた。コンドームと ローションだった。 「用意しゅーとーっすね...」 「先に風呂から出て用意しといたんだ」 「さ、さっすがしま ちゃ~ん」 取り出したふたつを傍らに置き、志摩は俺の首筋に顔を埋め、そこをぺろりと舐めてきた。 擽ったくて身を攀じると今度はがぶがぶとそこを甘噛みしてきた。 「ぁ...!くすぐったぃ...しま...ちゃッ...」 「擽ったいじゃなくて気持ちいいんだろう?大丈 夫、痕はつけないから」 「やぁ...ッん!」 あ、さっき項にキスマークつけたこと怒るの忘れてた。 そんなことを思っていると、服を捲られまた乳首をコリコリと弄られた。 志摩にしがみつ いて、気持ちよさに善がっていると志摩は首筋から口を離してまるで赤ちゃんが母乳を飲む みたいに俺の乳首にちゅうちゅうと吸い付いてきた。 「あぁ...ッ、ちくび...やぁ...ッ!」 「いややらくて、ひもちいいらろ...」 「う...ッあ、そこ で...ッ、しゃべらないでぇ...!」 志摩が言う通り、全然嫌なんかじゃないし超気持ちいい。でも、大声で言うのは恥ずかしい んだよ。伝われよ...そう思って志摩の旋毛を見つめると視線に気づいた志摩が乳首 から口 を離して、また俺に口付けてくれた。 そして、口付けながらも志摩は俺の上着とスウェッ トを脱がしてきて、俺を下着1枚にさせると志摩も自分の上着を脱いで上半身裸になった。 なんだか最高に愛おしく思って、身体を起こして志摩に抱きついた、そういえばさっきは必
要最低限しか脱がなかったからこうやって地肌同士触れ合うのって久々な気がす る...ま あ、そこまでご無沙汰じゃないんだけどね! 「下、いつもより早いけど触ってもいいか?」 「うん、触って?」 志摩は俺を再び押し倒した。 ない胸を揉みしだかれながら脇腹や内腿に口付けられる、楽 しそうに口付ける志摩がかわいくてふわふわの頭を撫でてやる。 あっという間に下着も取 られた。腰の下にクッションを敷かれて、さっきぶりに俺のナカにローションが垂らされた 志摩の指が挿入された。 「ぁあ...ッんぅ...」 「痛くないか?」 「だいじょうぶ...ッ、さっき、したし、それでほぐされてるから...ッ」 俺が言ったように、キッチンでのセックスと浴室の後処理のおかげで柔らかくなったそこは いとも簡単に志摩の指を受け入れることができ、あっという間に3本の指を咥え込 んだ。 でも、志摩は焦らずゆっくりとナカを解してくれた。 俺が背を反らしてピクピク反応しているとそんな俺を見て志摩は嬉しそうに微笑み、コン ドームを 手に取りそれを口で開けた。かっけぇ。 「しまぁ...ッ、はやく...!」 「あぁ、脚ちょっと開かせるぞ」 「ん...ぅ」 志摩は俺の脚を少し広げさせると、後孔から指を出し、反り勃った志摩自身が入ってきた。 さっきと違って、志摩の顔を見ながらナカに入ってくるのを感じれてめちゃくちゃ嬉しかっ た。 志摩も同じ気持ちだったのか優しく頬を撫でられ、ちゅっとキスをされた。そして、 額と額を合わせて微笑み合う、なんて幸せなんだろう。 「幸せ、だね...」 「あぁ、本当に...」 「ね、動いて、いいよ...もっと、志摩のこと、感じたい...」 俺がそう強請ると志摩は了解の言葉の代わりにもう1回俺に口付けをしてから、腰をゆっく りと打ち付けてきた。 それだけでも気持ちよくて俺の後ろはしっかりと志摩自身をきゅう きゅうと締め付けていた。 志摩も余裕がなさそうに一心不乱に腰を打ち付けてきた。 ぱん ぱんと肌と肌がぶつかり合う音が再び部屋に響く、何回聞いてもこの音には興奮してしま う。 「んぁ...ッ、あっ、きもちぃ...きもちいぃよぉ...!」 「俺も...超気持ちいい...」 「し まぁ...ッ、もっと、もっと、ほしぃよぉ...ッ」 「くそ、かわいすぎんだよ...ッ」 そう言って、志摩はより激しく奥を突いてきた。俺ももっと深く繋がりたくてと何とか脚を 動かして志摩の腰に脚を絡みつかせた。 「あぁ...ッ!イくぅ...!イッちゃうよぉ...ッ!!」 「俺も...っ、一緒に、イこう」 「ぅん...ッ! いっしょ...、んゃあぁ...ッ!!」 ぶるりと大きく震えた志摩が俺のナカにコンドーム越しに欲を全て放った、俺もほぼ同時に 果ててしまい、放った精液が俺の下肢と志摩の腹に飛び散った。やっぱり、恥ずか しく て、ふと志摩を見上げると満足そうに幸せそうに微笑んでいて俺にもう何度目か分からない キスをしてくれた。 俺は志摩の唇を受け入れながら、ゆっくりと意識を飛ばした。 ふと、物音が聞こえた。 パチリと目を覚まし、窓を見てみるともう空はオレンジ色になっていた。結構長い時間寝て しまっていたんだな...なんて考えるとぐぅ~とでかい腹の虫が鳴いた。志摩の作っ たでかい おにぎりは食べたもののそれしか食べていないからだった。 「そういえば、しまちゃんどこだろ...」 大体こういう時は俺の横ですやすや寝てるはずの 志摩がいない、トイレかな?と思っていると寝室のドアが開かれた。志摩が何かを載せたト レーを持ってやってきた。 「あ、しまちゃん」 「結構長い間寝てたな、藍が意識ない時に後処理はしたんだが大丈夫 か?腹とか痛くないか?」 「うん、大丈夫...」 「喉やっちまったな...ほら白湯入れてきたから」
志摩がベッドに腰かけたのでトレーに何が載っているか確認できた。 白湯の入ったマグ カップとお皿には志摩の握った大きな三角形のおにぎり2つ載っていたがさっきとはちょっ と違ったおにぎりだった。 「あれ、俺の用意してた具入れなかったの?」 「入れようとしたけどやっぱりあれは藍の 握ったおにぎりで食べたかったから残ってた具は冷蔵庫に戻した。今回のは志摩家伝統おに ぎりだ」 「志摩家のおにぎりはふりかけごはんで握ったやつなんだね」 「あぁ、結局作る 個数が多いと中に具を入れるよりふりかけご飯の方が作る手間が省けるのかこれが大半だっ たな」 「これはゆかりとのりたま?」 「あぁ、みんな大好きゆかりとのりたまだ」 いただきますと一口頬張る。ご飯とお馴染みのふりかけの組み合わせは間違いない美味しさ でどこか懐かしさも感じる味だった。 志摩が小さい時から食べていたおにぎり、これを頬 張る子供の志摩、兄弟と取り合う姿を想像してふふっとつい笑ってしまった。 「なに笑ってんだよ」 「なーんもない!美味しいなぁって思ってたの~」 「本当かよ、今のはなんか想像してた笑 いだったぞ」 「え~!そんな笑い方まで区別着いちゃうとかしまちゃん、俺のこと大好き じゃん!」 「あぁ大好きだよ」 そう言って志摩は俺にキスをしてきた、月9ドラマかよなんて心の中で突っ込んだ。 唇が離 れると、なんだか照れくさくなった俺は白湯を啜った、温かいそれは声をたくさんかあげて 疲れた喉を労わってくれた。 「なぁ、今度は藍の握ったおにぎり食わせてくれよ。結局最初に作ってた1個しか食えな かった」 「うん、でもその時は急に盛らないでよ~」 「善処致します」 「じゃあ、約束ね!」 今度は俺から志摩にキスをした、指切りげんまんの代わりのキスだ。 おにぎりが食べたい と思い立ってよかった、想像外のことはシちゃったけど結果的に志摩の握ったおにぎりが食 べれて大満足だ。 今度はちゃんと志摩におにぎりを作ってあげて、また一緒に食べたい なぁ。俺はそう思っておにぎりをもう一口頬張った。
あいを知るにはまだ早い 「なんでおまえ、俺なんかがすきなの」 ソファに座って報告書にペンを⾛らせながら、志摩が昼飯何にする?と尋ねてくるのと同じ テンションでそう⼝にした。何⾷って帰ろうかな、なんて考えていた伊吹は、⼀瞬ぽかんと 隣に居る男を⾒つめてしまう。 「間抜け⾯」 視線をちらりとこちらに寄越した志摩が、⼩さく笑う。最近よく⾒る、やさしい笑顔だっ た。⼼臓が⽢く軋む。きゅるっとしている。 「……え、それ今聞く感じ?」
慌てて⼝をてのひらで押さえて、もごもごと抗議した。当番勤務から分駐所に戻ってきては いるが、なんというか志摩らしくないタイミングだ。 「もう終わったようなモンだろ」 確かに午前九時はすぎているけれど。珍しく⼝篭る伊吹に、「なあどこがすきなの」とめん どくさい彼⼥のように志摩は⾔葉を強請る。 こんな質問をされる原因は無論伊吹にあるのだが、まさかこんなふうに問いただされるとは 思ってもみなかった。伊吹はむむ、と腕を組んで考え込む。きっかけは、遡ること⼀週間ほ ど前。 「俺、志摩ちゃんのことすきだなあ」 「……おまえの話は脈略がなさすぎる」 出前太郎で届けてもらったハンバーガーをメロンパン号で⾷べながら、そんなやり取りをし ていた。 トマトがはみ出して⾷べにくいな、なんて思いながら、運転席でぼやく志摩をちらりと⾒ る。 「今俺的にはめちゃくちゃ理論的に⾔ったつもりだったんだけど」 「どこが?さっきまでしてたのは、メロンパンの上の部分のクッキー⽣地は旨い、って話 だ」 「ほらあ!」 「なにが?なにがほらあ?」 伊吹と同じようにバンズからぐにゃりと⾶び出るトマトに四苦⼋苦している志摩は、きっと 原因がそれだけではなく顔を顰めている。眉間の皺、取れなくなっちゃうぞ。できるのな ら、指で伸ばしてあげたい。 「メロンパンの上のとこって美味しい。すきだよね?」 「うん」 「で、志摩ちゃんのことも、すき」 どっちもすき、だいすき。歌うように繰り返すと、志摩は⽬を細めてこちらを⾒てから、何 も⾔わずにトマトを指で引っ張り出して、頬張った。バンズと均等に⾷べるのは諦めたらし い。 「え、無視?」 ぜったいに⼝を開かないぞ、という確固たる意志を感じる。伊吹はちぇっと唇を尖らせて、 指の腹に付いてしまったソースを舐めとった。味は旨いのに⾷いにくい。 「おしぼり」
ん、とすぐさま横から⼿渡される。やさしい。よく⾒てる。志摩ちゃんも俺のことすきで しょ?いやいや、綺麗好きなだけか。 ⼀旦紙袋に⾷べかけのハンバーガーを戻し、有難くおしぼりを受け取って指先を拭う。 「志摩ちゃんも使う?」 「⾷い終わるまでいい」 ⾒ると、⼝元が汚れることも諦めたらしく、豪快にハンバーガーにかぶりついている。⼝の 端にソースが少し付いているのが可笑しかった。でも、かわいい。 「ねえねえ志摩ちゃん」 ⾷べているので返事がないのは予測済み。むしろそっちのほうが都合がいいかもしれない。 「さっき⾔ったすき、は、ライクじゃなくてラブの意味だよ」 やはり沈黙。⾷べ終わったらしい志摩は、おしぼりをぴりぴりと開けて、ゆっくりと⼝元と ⼿を拭いてから、ようやく⼝を開いた。 「……メロンパンが?」 「いや、志摩が」 「……ライク?」 「じゃなくてラブ。も〜ちゃんと聞いてよ!」 やさしい垂れ⽬が怪訝そうに伊吹を⾒つめている。眉間の皺が消えていたのは幸いだ。 「……ああ、そう」 「反応うっす!」 思わず叫んでしまったのは致し⽅ないことだろう。こっちが決死の思いで告⽩したっていう のに。いや、決死の思いっていうのは過⾔だったかもしれない。過⾔だ。ぽろっと⼝から出 ちゃった⾔葉だから。でも、けっこう前から⾃覚していた想いだ。⾔葉にした後悔は、ふし ぎとな い。 「冗談、」 「じゃない」 「……そう」 もう⼀度、そう、と呟いた志摩は、おしぼりをゴミ箱代わりの紙袋に⼊れると、ハンドルに 腕を置いて伏せるような体勢を取った。もしかして、彼を物凄く悩ませてしまっているのか
もしれない。それは本意ではないけれど、少しくらい意識してくれたら、嬉しい。志摩は、 すきなひ とだから。すきなひとに意識してもらえたら、真剣に考えてもらえたら、こんなに幸せなこ とはないだろう。真摯に向き合ってくれるのなら、結果がどうであれ、だ。 そんなことを思っていると、⾞内の静寂を破る無線が⼊る。 「警視庁から各局―」 現場は近い。伊吹は⾷べかけのハンバーガーが⼊った紙袋を後部座席に押し込んで、シー バーを⼿に取る。 「機捜404より1機本部、現場周辺に居るのでただちに向かいます」 淀みなく⼝にして、外していたシートベルトを付ける。志摩がアクセルを踏んだのはそれと ほぼ同時だった。 あれから志摩がわかりやすく伊吹を意識してくれたかというと、まったくそんなことはな かった。いつも通り。普段と何にも変わりない。違った態度を⾒せてくれたのは、あのメロ ンパン号での⼀瞬だけ。少しいじけたくなる。 志摩はラブの意味ですきだ、なんて⾔われたことを忘れてしまったかのような、すんとした 顔をしている。もしくは、忘れたくてそう努⼒しているのかもしれない。後者だったら悲し いな、と不意に思った。 そして話は冒頭に戻る。 「……まず俺のすきなひとのこと、俺なんかとか⾔わないでくんない?」 正しく意味を理解したらしい志摩は、バツが悪そうに「……ごめん」と謝った。素直でよ し。⾮を認められる⼤⼈なところもすきだ。 「じゃあ今から、志摩ちゃんのすきなところを発表します」 表紙を表⽰ ⼩ 中 ⼤ 1/1 2/7 「急に乗り気だな」 こほん、と咳払いした伊吹は、いつもより若⼲声を潜めて話し出す。陣⾺も九重ももう退勤 しているし、他の機捜メンバーも出払っているけれど、いちおう。伊吹は聞かれても困らな いが、志摩はそうじゃないだろうから。 「志摩ちゃんは、俺の話ちゃんと聞いてくれる」
びしっと⼈差し指を上げて⾔うと、志摩は書き物をする⼿を⽌めて、「そんなことかよ」と 拍⼦抜けしたように呟いた。 「そんなことなんかじゃない」 「……たまに無視もするぞ」 「雑談してる時じゃなくてさ、まあそれも無視しないでほしいけど、仕事中に、俺がこう思 うってうまく説明できなくても。根拠がなくても、ふんわりしてても、最後まで話聞いてく れるだろ?」 それがどれだけ嬉しいことなのか。きっと志摩にはわからないんだろうなあ。 あまり⼝にしたことはないが、伊吹の過去を察したのだろう、志摩が微かに⽬を細めた。同 情してほしかったわけじゃない。 「あと志摩は、やさしい」 「やさしいかあ?」 「やさしいよ。⼿が汚れてたら、すぐに気づいておしぼり渡してくれるだろ」 「ちっさ」 「⼩さい?俺はそうは思わない。志摩ちゃん、またそんなことか、って⾔う?」 志摩にとっては⼤したことじゃなくても、そういう⼩さなことの積み重ねがいつの間にか伊 吹の中で膨れ上がって、「ラブの意味ですき」が形作られたのだ。間違いようもない。 「ほかにもあるよ。俺が⽬が乾いてしょぼしょぼするって⾔ったら、すぐに⽬薬貸してくれ ただろ。靴履き直す時、肩も貸してくれる。いっしょに⽜丼飯⾷いに⾏った時、俺に温⽟く れた」 「⽬薬はたまたま持ってたから。肩貸したのはおまえが先に掴んできたから。温⽟あげたの は注⽂してないのについてきたから」 やさしかったところをつらつら挙げたら、間髪⼊れずに否定された。まるで、伊吹が⾃⾝を すきなのを認めたくないようだった。そっちがそう来るなら、これでどうだ。 「あと、志摩ちゃんの笑顔がすき」 「えがお」 まるで初めて知った単語のよう、志摩はオウム返しする。 「笑ってる顔⾒れたら、得したなって思う。いい⼀⽇だなって思える。俺のこと⾒て笑って くれたらいいなっていつの間にか考えてる」 志摩にしかめっ⾯をしてほしくて、すきだって⾔ってるわけじゃない。彼が苦しむなら、こ の恋⼼は諦めよう。今すぐきれいさっぱり諦める、はいさようなら、とはいかないけれど。
ついに⼆の次が継げなくなった志摩は、⻑い⻑い沈黙の後、「わかった」と⾔った。 わかったってなに?と反射的に聞き返そうとして、踏みとどまった⾃分を褒めたい。 恋⼼を否定せず、受け⽌めてくれたのだ、と伊吹は判断した。それだけでも充分だ。⼀週間 で志摩が何を考えて何を思ったのかはわからないが、伊吹は嬉しかった。わかってくれたこ とが。 これ以上望むのは贅沢だよな、と思う。でも、それ以上を求めてしまうのが⼈間だ。だって 志摩が、やさしいから。すきなひとのすきなところのせいにするなんて、俺ってなんてだめ なやつ。そんなことを考えて、伊吹はひとり⼩さく笑った。 「どうしたいとかないわけ」 当番勤務明け、分駐所からいちばん近い⽜丼屋に連れ⽴って向かうのは最早恒例となりつつ ある。⼆⼗四時間営業していて、安くて旨くて速くて腹が脹れる。いいことしかない。 鯖定⾷についている納⾖をかき混ぜながら、志摩が唐突に⾔った。 ⽜丼朝⾷セットに付いている⽣卵をとき終わって、量を間違わないように慎重に醤油を垂ら していた伊吹は、「は、何が」とずいぶんな返事をしてしまった。 「キスしたいとか、セックスしたいとか」 ⼀瞬、何を⾔われているのかわからなかった。脳が意味を理解した瞬間、伊吹は物凄い勢い で顔を上げた。志摩は、平然とした顔で納⾖をご飯に乗っけている。 「えっ……え?俺、⽿悪くなった?」 「しっかりしろよ、⽿がいいのは数少ない取り柄だろ」 「ちょっと⼀⾔余計じゃない?……じゃなくて!」 このしれっとした表情の男は今さっき確実に、「キス」「セックス」という到底朝九時過ぎ に聞くには場違いな⾔葉を⼝にしたはずだ。どうしてそんな平然としていられるのだろう。 ていうか、どういう意図でそんなことを? 「あっ、おまえそれ、」 こちらを⾒た志摩が⽬を丸くする。つられて⼿元を⾒ると、⽣卵にかなりの量の醤油がか かってしまっていた。新鮮な⻩⾊が⾒る影もない。 「あーっ!」 「⼤声出すな」 「だって!こんなのってあんまりだよ!これじゃきっと醤油に卵添えたみたいな味になって る!」 醤油に卵添えた…反芻するように呟いた志摩は、何がツボに⼊ったのかわからないがくつく つ笑いだした。俯いて肩を震わせている。
「笑ってんなよ、志摩ちゃんのせいだかんね!?」 「ふっ……ふ、ふ……そうだな、うん……俺のせい……ごめんごめん」 笑ったまま⾔われてもまったく誠意が感じられない。伊吹が拗ねてますよとアピールするた めに頬を膨らますと、志摩は「ほら」と⾃⾝のトレーに乗っていた器を差し出してくる。 「俺の卵やるから」 「え、そんな、」 「納⾖あるし」 「でも、」 「卵そんなすきじゃないんだよ」 そう⾔われれば、断る理由もない。ありがとう、と受け取って、今度こそ失敗しないように 醤油を垂らそう…じゃなくて! 「え、え、待って待って?今ナチュラルに流すとこだった」 「卵を?」 「なんでせっかくもらった卵流しちゃうんだよ、⼤事に⾷べるよこれから」 ⼀旦箸は置いて、納⾖ご飯を元気いっぱいかき込んでいる志摩を⾒つめる。 「今なんつった?」 「……」 「飲み込んでからでいいから、ちゃんと答えて。誤魔化すの禁⽌な」 むぐむぐと⼝を動かして嚥下し終わったらしい志摩が、コップの⻨茶を飲んでから、ゆっく りと繰り返す。 「どうしたいとかないわけ?キスしたいとか、セックスしたいとか」 志摩の⼝からそういう⽣々しい⾔葉を聞くと、無性に胸がざわざわした。普段お硬そうに⾒ えるから、ギャップのせい?いや、伊吹が彼に惚れているからにほかならない。 なんで突然こんなことを聞いてきたのだろう。からかってやろうって?それにしては、志摩 の顔は真剣だった。試されてる?もしかして⼼理テスト?まさかな。それじゃあ、伊吹はど う返せばいいのか。どう返すのが正解なのか。 「……したい、って⾔ったら?」 たっぷり時間を使って、結局伊吹は⾃分に正直に答えることにした。 志摩は呑気に味噌汁をずずっと啜ってから、ほう、とひと息ついて。
「わかった」 だから、わかったってなに?⽣卵に醤油を適量⼊れることに成功はしたけれど、志摩のせい で味がまったくわからなかった。どうしてくれよう。 「変なこと聞いていい?」 分駐所のカウンターでタブレットを操作している九重の横にちゃっかりと座り、伊吹はそう 話を切り出した。 「変なことならやめてください」 「じゃあ、聞いてもいい?」 「……何をですか」 変なこと、を取り除いただけでいちおう聞く体勢に⼊ってくれるこの後輩はかなりやさしい と思う。 「すきなひとに、キスしたいセッ……それ以上のこともしたいって⾔ったとしてさ、」 「セクハラですか」 いちおう配慮してぼやかしたというのに、鋭い瞳で間髪⼊れずに返される。伊吹はぶんぶん と⾸と⼿を振って否定した。そんなことしようものなら、陣⾺に怒られてしまう。いや、そ もそもしないけどね。 「仮定、もしもの話よ。そう⾔ったら、わかった、って返された時って……どうしたらい い?どういうことだと思う?」 「もしも……?」 引っかかるところはそこなのか、九重くんよ…。 顎に⼿を当てて、まじめな表情で彼は⾸を傾げる。わりと本気で考えてくれているのが九重 らしい。ありがとう、すき。ライクの意味で。 「わかった、という⾔葉は意味を呑み込んだと解釈できるでしょう」 「うん」 「それなら、伊吹さんのきもちは理解した、という返事ではないでしょうか」 「……つまり?」 「貴⽅のきもちはわかった、それだけです。それ以上も、以下もない」 冷ややかな返答にも思えたが、正論である。伊吹がキスもセックスもしたいと伝えたら、志 摩は「わかった」、なるほどそういう感じね、と納得した。以上。それだけのことである。 そこからあわよくば「じゃあ俺としてみる?」なんていう流れになったら嬉しいけど、それ は有り得
ない。志摩は理解してくれただけだから。整理してみると、ずいぶん物悲しい話だった。少 しへこむかも。……あれ? 「今、伊吹さんって⾔った?」 「え?はい」 「か……仮定の話って⾔わなかったっけ?」 3/7 「そういう切り出し⽅の時は、たいていご⾃⾝の話だと相場が決まってます」 「どこの相場だよそれ!」 図星すぎたのと驚きすぎたので思わずひっくり返りそうになった。九重は僅か⽬を細めて、 どこか⽣温い視線を向けてくる。 「頑張ってくださいね、伊吹さん」 「やめて……そういう⼼ない⾔葉がいちばん傷付くから……」 「あ、いや、傷付けるつもりはなかったんですが」 しょんぼりとカウンターに伏せる伊吹を⾒て、⼼なく聞こえたならすみません、と九重が 焦ったように眉を下げる。ほんと、いい⼦だよなあ。 「いいよ、わかってる。……九ちゃん、ありがと」 「いえ……お礼を⾔われるようなことは何も」 「聞いてもらえてすっきりしたし、真剣に考えてくれて嬉しかった」 だからありがと、と重ねてお礼を⾔う。九重は居⼼地悪そうに⾸を竦めて、もごもご「は い」と応えた。可愛らしい反応だった。 「……ね、お⼝直しに俺が奥多摩でイノシシと格闘した話、聞く?」 「……悔しいですがそれはちょっと聞きたいです」 明け⽅近くの重点密⾏中。薄らと⽩んできた空を助⼿席の窓から⾒上げていると、志摩が不 意に⼝を開いた。 「さっき、九重さんと何話してたの」 あまり得意ではないのか、単に体⼒を消耗しているのか温存しているのか判断が付かない が、朝⽅の志摩は静かだ。伊吹が話しかけなければ、いつもよっぽどのことがない限り⾃分 から話し出さない。
驚いた伊吹は呼びつけられた⽝のような素早さで振り返って、「いつのこと?」と尋ねる。 「楽しそうだっただろ、休憩中」 「仮眠取る前?」 「そう」 まさか恋愛相談してました、貴⽅の発⾔のせいですよ、だなんて答えられるはずもなく、伊 吹はへらりと笑う。 「超くだんないことだよ」 「くだらないことって?」 やけにしつこく聞いてくるのは、もしかして、笑い声がうるさかったのだろうか。それなら その時⾔ってくれればいいのに。 「俺がイノシシと格闘した話」 「……なんて?」 「イノシシ!奥多摩の交番に居た頃、⺠家に突然現れたイノシシ捕獲⼤作戦に駆り出された の!」 「……伊吹巡査部⻑が?」 「伊吹巡査部⻑が」 事の顛末を⾝振り⼿振りを混じえて⼤袈裟に説明した。イノシシが間近に居るという場⾯で 伊吹が側溝に⽚⾜を突っ込んでしまい、周りの皆に「俺のことは置いていけ!いいから!」 と漫画の主⼈公さながら叫んだ、という件を話した際には、志摩は声を上げて笑ってくれ た。⽂字通 り、腹を抱えている。そんなに爆笑してもらえたら、話した甲斐があるというものだ。ちな みに、九重にもこの話は⼤ウケだった。 「あー……⾯⽩かった」 「そりゃよかった」 「こんな笑う予定じゃなかったのに」 珍しく無邪気に笑っている志摩がとてもかわいかったから、伊吹も⾃然とつられて⼝元が緩 んでしまう。なんてったって、志摩の笑顔がすきなので。 「安⼼した?」 「ん?」 「志摩ちゃんのわるくちじゃなかったから」
茶化すように尋ねれば、そんなわけねえだろとでも返されると思ったのに。 「うん」 素直すぎるほど素直に志摩は頷いた。笑いすぎて滲んだ⽬尻の涙を親指の腹で拭いながら。 「えっ、あっ、しんぱいだったの、」 伊吹はひとりわたわたと取り乱した。そんなにかわいいのはずるい。 「うん」 またもや頷く志摩に、なんだか⼼臓がバクバクしてきた。そんなかわいい⼀⾯を⾒せて、こ れ以上すきにさせないでくれよ。 その⽇の勤務明け、どこか⾼揚した気分のまま、伊吹は⼀か⼋かで切り出してみた。うじう じしているのは向いてないから。経験上、今はちょっと攻めてもいい時だ。あんまり引くこ とってないけど。押してだめなら押してみろ! 「志摩ちゃん!」 帰り⽀度を終えてロッカーを閉めた志摩に声をかける。 「今度、志摩ちゃんち⾏ってみたい」 これはなかなか⼤勝負。決死の思い、で⼝にした。すきなひとの家に⾏ってみたい。受け⼊ れてくれたらそれは―。 「……やだ」 やだ!?なにその断り⽅かわいい!じゃなくて。 やっぱりだめか、と伊吹が肩を落としそうになった瞬間、志摩は鞄を肩にかけながら、ぽつ りと呟いた。 「伊吹んちでいいだろ」 「え、」 「⾏くなら、伊吹の家」 つぶらな瞳がこちらをまっすぐ⾒る。射抜かれる。また⼼臓がうるさくなってきた。それっ て、何か期待してもいいってこと? 休⽇には会わない、なんて⾔っていたくせに、仕事が休みの今⽇、志摩が家にいる。伊吹の 家に。 「お邪魔しま〜す……」 きちんと靴を揃えてから部屋に上がった志摩は、「意外と⽚付いてるな」なんて感想を⾔ う。
「あんま⾒んなよ」 「部屋に居んのに?」 志摩が⽚⽅の眉を器⽤に上げる。あ、その顔すき。でもごもっともな⾔い分だ。 「……いちおう綺麗にしてるつもりだけど、恥ずいから」 家に志摩が居るだけなのに、ずいぶんと舞い上がっているような気がする。彼のテンション は仕事の時と変わらないはずだから、伊吹だけがひとりドキドキしている。 「あ、これ差し⼊れ」 座った志摩が何やらビニールを差し出してくる。受け取って開けると、⽸ビールに⽸チュー ハイ、つまみに惣菜まで⼊っている。 「ありがと〜……こんないっぱい」 「多かった?」 「ううん、違くて、志摩ちゃんがいろいろ選んで買ってきてくれたのが嬉しい」 「……選べねえから⽬に付いたものぜんぶ買ってきただけだよ」 「はいはいツンデレツンデレ」 ⿐歌混じりに冷蔵庫に酒と惣菜をしまい込む。時刻はまだ昼すぎだから、これは後でのお楽 しみ。 「志摩ちゃん、昼飯⾷ってきた?」 「朝遅かったからまだ」 「俺もまだ〜いっしょに⾷お」 「ああ。出前太郎にでも頼む?」 志摩がスマホ取り出しながら⾔った。どうしようかな。 「あのさ……カレー⾷う?」 ⼀瞬だけ躊躇って、伊吹はコンロの上にある鍋を⾒ながら⾔った。 「……作ったのか?」 「昨⽇の夜飯の残り」 これは嘘ではない。嘘ではないが、明⽇は志摩がうちに来るんだよなあと考えながら作っ た。多めに作った。意図的に。正直⾔えば、多めに作ったというレベルではない量のカレー が鍋の中には⼊っている。あと四⼈前くらいは。 「⾷う」
志摩が返事をしてくれた時、思わずほっとしてしまった。⼿料理作って待ち構えてるのなん て重すぎるから、わざわざ残り物だと主張したのだ。気にせず⾷べてもらえるのがいちばん いい。 「ご飯いっぱい⾷べる?」 「うん。なあ、おまえの作るカレー、⾟い?」 「俺は⽢⼝派」 「お⼦ちゃまめ」 「ひど!志摩は⾟いのがすきなの?」 「いや、俺も⽢いほうがすき」 「なんだよ!なら⾔うなよ!」 4/7 はは、と志摩が笑い声を上げる。笑ってる顔を振り返って確認したかったけれど、伊吹は鍋 から⽬を離せなかった。すき、という⾔葉が頭から離れなくて。志摩の⼝から放たれる「す き」の威⼒は絶⼤だ。すきなのは⽢⼝のカレーじゃなくて、俺だったらいいのに。なん ちゃって。 ふたりで⼩さいテーブルでカレーを⾷べる。志摩はカレーにはらっきょうだと⾔ったけど、 伊吹は福神漬け派だったので⾔い合いになった。メロンパンの⾊が緑か⻩⾊かで揉めた時以 来だ。今どちらもここにはないのに、である。結局結論は出なかった。 腹が脹れてたわいのないことを話してテレビを流し⾒なんかしていたら、あっという間に⼣ ⽅になっていた。清く正しく、健全な友達との休⽇の過ごし⽅みたいだ。⾃堕落で、とくに 何かが起こるわけではないけど、とんでもなく楽しい。 楽しくて仕⽅がないが、伊吹としてはもっと踏み込んだ関係になりたいと思ってしまう。で も、志摩にその気があるかはわからない。 伊吹が家に⾏きたいと⾔ったのは多少なりとも下⼼があったからだが、志摩が家に⾏きたい と⾔ったのにそんなきもちは⽋⽚も含まれていないかもしれない。聞いていないから推測で しかない。かもしれない魔⼈だ。やっぱり難しく考えるのも性にあわない。 そろそろでしょ、と酒と惣菜とつまみをテーブルの上に並べる。⽸ビールで乾杯して、酒盛 りが始まった。腹の探り合いみたい。いやいや、そう思っているのは伊吹だけかも。 「伊吹はさー……」 リモコンを⼿にした志摩がザッピングしながら⼝を開いた。 「ん?」
さきいかを噛み切ることに格闘していた伊吹は、おざなりな返事をする。 「きゅるっとした⼥のひとがすきなんじゃないの」 思わずフリーズ。出た、志摩の意味わかんないタイミングでの爆弾発⾔。三度⽬にもなる と、ある程度耐性がついてくる。対応できるかは置いておいて。 「……すきだよ?」 べつにおかしな答えじゃない。きゅるっとした⼥のひとをすきになることは多い。今までも そうだった。ハムちゃんだって、きゅるっとしててかわいい。すきだ。……ライクの意味 で。 「そのきゅるっていうの、俺は未だによくわかんないけど……男に対しても感じる?」 「……たまに」 最近だと、志摩の笑顔にはきゅるを感じまくっている、とは⼝が裂けても⾔えない。 「今まで……男と付き合ったこと、ある?」 やっぱりその質問されるよなあ。ようやくチャンネルを決めたらしい志摩が、リモコンを置 いてこちらをちらりと⾒た。さきいかを⾷いちぎるのは諦めて、伊吹は逆にテレビの画⾯に 顔を向ける。 「……ある」 「きゅるっとしてたら、性別は問わないのか」 「まあ、うん、そんな感じ」 伊吹は今まで、男⼥どちらともと付き合ったことがある。数は半々くらい。きゅるっとして て、すきだな、と思って、「男だな」「⼥だな」というのが後からついてくる感じだ。正 直、あまり気にしたことがない。だからこそ志摩をすきだなとすんなりと認めることができ たし、ぽろ っと告⽩なんてしてしまった。でも、めちゃくちゃに本気だ。 「そっか」 「……引いた?」 「なんで?」 なんで?と返されるとは思わなかった。黙っていると、「今のどこに引く要素があったんだ よ。フツーの恋愛話。そもそも、俺が踏み込んで聞いたんだろ」とふしぎそうに⾸を傾げ る。今まで伊吹がバイセクシャルだと聞くと、あからさまに嫌そうな顔をするひとたちはた くさん居 た。そんな⼈間は相⼿にしなければいいだけなので傷付いたりしないが、志摩のこの反応 は、かなり、いやとんでもなく、嬉しかった。やっぱりすきだ。
こんな質問をしてくるってことは……と考えた瞬間、⾝体が勝⼿に動いていた。少しだけ⾝ を乗り出して、無防備な志摩の唇に、掠めるようなキスをする。薄い唇は、思っていたより も熱かった。遅れて、ほんのりとビールの苦味。 「志摩、俺とキスできんの」 「……してから聞くことじゃない」 ごもっとも。ごもっともすぎる。頭より⾝体が先に動くのも考えものだ。なんて冷静な⾃分 が分析している。でも⼼臓は物凄い速さでバクバクいっていた。 志摩はいつものひょうひょうとした表情を崩さない。嫌だったら、怒るよな。殴るかも。で も、伊吹の告⽩を「わかった」と受け⼊れてくれたのだから。あまつさえ、あんなことを聞 いてくるんだから。 不安と期待が⼊り混じって、頭がパンクしそうだった。 それからしばらく無⾔が続いて、テレビで放送していたバラエティ番組がちょうど終わりを 告げた時、志摩が不意に⽴ち上がった。 「……帰る」 「あ、え、」 伊吹が反応できないでいるうちに、志摩は鞄を引っ掴んでさっさと部屋を出て⾏ってしまっ た。ドアが閉まる直前、「またな」と⾔われたけれど、何それちょっと待って。キスが嫌 だった?嫌だったならはっきりそう⾔ってほしい。何なら殴ってくれてもいい。でも「また な」なんて 挨拶するくらいだから、仕事で普通に顔合わせるのは問題ないってことだろう。意味がわか らない。 「志摩ちゃんのばか!」 ⾜を怪我した。 逃げる犯⼈をいつものように⾛って追いかけて、⾸根っこ掴んでから少しだけ揉み合いに なった。犯⼈の男はガタイが良かったけれど、いちおうこちらも鍛えている⾝なので押し負 けることなく制圧して、きちんと⼿錠をかけた。のまでは良かったのだけれど、分駐所に 帰ってからふ と右⾜⾸に違和感。 ソファに座りズボンの裾を捲って靴下を少しずり下げてみたら、紫に変⾊して腫れていた。 結構盛⼤に挫いてしまっていたらしい。夢中で気が付かなかった。 ⾒た⽬はひどいが痛みはそこまでではないので、この感じだとあとで病院へ⾏って湿布して 寝れば、次の当番勤務までにはきちんと⾛れるだろう。もちろんテーピングはするけれど。 なんて考えながらスボンの裾を戻して顔を上げると、なぜかばっちり志摩と⽬が合った。
「志摩ちゃんお疲れ様〜」 もう彼は帰り⽀度を終えていたので、ひらりと⽚⼿を振ってみる。ちなみに伊吹の家に来て キスをしてから初の当番勤務だったが、志摩は驚くほどいつも通りだった。終始あんなこと なんてありませんでした、みたいな顔をしていた。そっちがそういう態度なら、と伊吹も 倣ったが、 もやもやしている。そして今、だ。 「おい」 ドスの効いた声と共に、志摩がこちらに近寄ってくる。伊吹はソファに座っていたから、す ぐそばで⽴ち⽌まった彼を⾒上げる形になる。 「どしたどした?なんか⾔い忘れ?」 「⾜!」 「あし」 「なんで⾔わなかった!」 叫んだ志摩が⾜元に跪く。あまりの剣幕に動けない伊吹の⾜⾸を語気の強さとは裏腹にやさ しく掴みあげた志摩は、靴を脱がし、靴下までもをするりと抜いてしまう。 「え、あの、」 「腫れてる。いつからだ」 「……明け⽅、犯⼈捕まえた時、かな?」 「どうして黙ってたんだ」 「黙ってたっていうか……今の今までこんなになってるって気付いてなかった……そんな痛 くなかったから、⾊⾒てびっくりした……しました」 いつにない志摩の剣幕に、⾃然と敬語になる。こんな怒鳴られるなんて思ってもみなかっ た。伊吹が⾸を竦めていると、志摩ははあ…と⼤きなため息をつく。 「……病院⾏くぞ」 「あ、うん。⾏ってくる」 「……⾏くぞ」 「え?志摩もいっしょに?」 「何か問題でも?」 「問題はないけど、俺ひとりで⼤丈夫だから。歩けないほどじゃないし、志摩は帰っていい よ。眠たいだろ?」
当然の提案をしたつもりだったのだが、志摩は鋭い⽬でこちらを睨み付けてくる。だめな回 答だったらしい。垂れ⽬の彼は黙っていても愛想がなくても何となく柔和な雰囲気があるけ れど、今は剣呑さしか感じられず、居住まいが悪い。 「却下」 「却下とかあんの!?」 「おまえはひとりだと無茶するから、いっしょに⾏く」 そう⾔い切られてしまえば強く断れず、結局連れ⽴って病院へ⾏くことになった。午前中の 病院は案外混んでいて、年齢層は⾼め。三⼗半ばの男がふたり、待合室で並んで座って待っ ている姿は、けっこう、いやなかなか浮いていた。 普段だったら、志摩が仕事明けも⾃分と居てくれてラッキー、と思えただろう。だが今⽇は そうもいかなかった。志摩がかなり不機嫌だから。 ここまでの道中も、待合室に⼊ってからも、⼀⾔も会話らしい会話はない。「受付代わりに してくるから、保険証出して」「あ、はい、ありがと……」という事務的なやり取りが⼀度 あったくらいだ。あんなのは話したのうちに⼊らない。 ようやく名前が呼ばれ診てもらうと、診断は案の定捻挫で全治⼀週間ほどだという。やっぱ りな、⼤袈裟に騒ぐものでもない。⼿当てしてくれた看護師に⾜⾸に湿布を貼られそうに なったので、「テーピングして帰っちゃだめですか?」と尋ねたら、「何⾔ってんだ⾺⿅」 とカーテン の反対側で待っていたらしい志摩から罵声が⾶んできた。⾺⿅ってひどい。 この病院からうちの家はわりと近いため歩いて帰りたかったからテーピングの提案をしたの だが、志摩の鶴の⼀声で湿布を貼るだけに終わった。 「松葉杖借りるか」 ひとりでも歩けるレベルの捻挫なのに、志摩は真顔でそんなことを⾔う。 「要らない要らない!すぐ治るよ」 「それはおまえが判断することじゃない」 ⼀⼑両断。触らぬ神に祟りなし、ならぬ触らぬ志摩に祟りなし、である。「スミマセン…… 」と⼒なく謝罪すると、志摩が物⾔いたげにこちらを⾒た。 病院を出てすぐに、志摩はタクシーを拾った。彼の家はここから距離があるから乗って帰る のだろうと納得して、「今⽇はありがとね」とお礼を⾔う。すると「早く乗れ」と⾜を庇う ように肩を⽀えられ、⾞内に押し込まれた。 「え?え?」 有無を⾔わさず彼も乗り込んできて、告げたのはおそらく志摩の家のマンションの住所。 「なんで?なんで志摩んち⾏く流れになってんの?」
尋ねるが、志摩は前を向いて黙り込んでいる。前家に⾏きたいと⾔った時は断ったくせに。 どうして今更、とは思うけれど、正直彼の家に⾏けるのはちょっと、いやかなり嬉しい。こ んな時だっていうのに。 「ねえ志摩、なんで?」 「おまえはなんでなんで魔⼈か」 伊吹がよく使う魔⼈、という⾔葉を嫌そうに使われる。うるさいから少し黙っとけ、と付け 加えられて、伊吹はようやく⼝を閉じた。それでもそわそわと指先を動かしていたら、視界 に⼊ったらしく、「動きもうるさい」とてのひらで握り込まれてしまった。その⼿のぬくも りにすら ドキリとするのだから、⾃分もなかなかだよなあ、なんて伊吹は内⼼ぼやいてみせた。困っ てもないくせに。 5/7 初めて訪れた志摩の家は広かった。なんでこんな⾼そうなマンション住んでんの?と聞きた かったけれど、なんでなんで魔⼈かと怒られそうなので我慢した。褒められてもいいと思 う。 「お邪魔しま〜す……」 「そこ座って⼤⼈しくしとけ」 やたらとデカいソファを指さされて、伊吹は⽂字通り⼤⼈しく座る。きょろきょろと部屋を ⾒回していると、「そんな興味津々に⾒るなよ」とキッチンからコップをふたつ持ってきた 志摩に突っ込まれた。 「志摩ちゃんだってうち来た時⾒てたじゃん」 「俺はいいんだよ」 「横暴ー!ジャイアンすぎー!」 抗議する伊吹をまるっと無視して、ほら、とコップが差し出される。 「これなに」 「⻨茶」 「⻨茶飲むの」 「⽔出しのやつ作り置きしてる」 「か、家庭的……」
失礼かもしれないが、意外だと思った。⽔出しの⻨茶を作り置きする志摩。想像してみた ら、とてもかわいかった。 「ありがと、いただきます」 「おう。……おまえなんでそんな端っこ座ってんだ」 指摘されて⾃分がソファの端に座っていることにやっと気が付いた。 「いやなんか……真ん中は座れないでしょ居⼼地がわるい」 「硬いか?」 「座り⼼地じゃなくて……」 うまく⾔葉にできなくて⼝元をむぐむぐ動かしていると、毒気が抜かれたのか「借りてきた 猫か」と志摩が⼩さく笑った。やっとしかめっ⾯じゃなくなった。ほっとする。やっぱりす きなひとには、笑顔でいてほしいじゃない。 隣に腰を押し付けた志摩との距離は、ひとひとり分くらい。それがもどかしくて、少し寂し い。 「なあ志摩ちゃん……怒ってる?」 「なんでそう思う」 ⻨茶を飲んでから話しかけると、志摩はすぐに返事をくれた。声⾳にもう棘はない。 「俺がヘマしたから」 「ヘマしてないだろ。犯⼈は捕まえた」 「……よくわかんないとこで怪我したから」 湿布が貼られ包帯が巻かれた右⾜⾸を持ち上げぷらぷらさせると、「おい揺らすな」と膝を 押さえられた。⼼配性だなあ。 「……怒ってないよ」 志摩が静かに⽬を伏せた。 「なあ。なあ、志摩」 「んだよ」 「ごめんね」 「……何に謝ってる」 「⼼配かけたことに対して」
志摩はこちらを⾒なかったけれど、僅か眉を寄せて複雑な表情。感情を読み取られたくな かったのかもしれない。 「⼼配してくれてたんだよな。だから病院にいっしょに⾏ってくれた」 ⾺⿅だけど、それはビシビシ伝わってきたからわかる。それがすきなひとだったら、尚更。 「……もう⼀個ごめん」 「……なに」 「うん。……俺今、おまえんちに来れて、嬉しいって思ってる。志摩は⼼配してくれてるの に」 軽く俯いてしまったから、志摩の顔は⾒えない。どんな顔してる?怒ったかな。 「あと……最後にもうひとつ、ごめん」 「……そんなに謝ることあるのかよ」 もうこうなったら、といろいろまとめて懺悔することにした。 「今、やっぱり志摩のことすきだな、って凄い思ってる。すき」 ちょうすき、と噛み締めるように⾔うと、志摩の肩が微かに跳ねた。伊吹は⼿元のコップを ⼿持ち無沙汰に⽬の前のテーブルの上に置いた。 「……それ今⾔うことか」 「あは、違ったか」 「……謝ることじゃねえし」 「……うん?」 「俺のほうが、謝らなきゃいけないことがたくさんある」 同じようにコップを置いた志摩が、ゆっくりとこちらを⾒る。やさしげな瞳が、揺れる瞳 が、伊吹を映していた。 「伊吹にすきだって⾔われた時、すげえ驚いた。驚いてひとりでめちゃくちゃ考えまくっ て、どこがすきなのか聞いた。そんでおまえのすきがどこまでできるすきか、どこまでした いすきか気になって、不躾な質問した。……九重と何話してたかしつこく聞いたのは、たぶ ん嫉妬。お まえが楽しそうに笑ってたから、妬いてたんだと思う。そこで、俺も伊吹と同じきもちなん じゃないか?って考え始めた」 ⼀気に捲し⽴てられて、伊吹は⾔葉を返せない。ちょっと待ってくれ。謝るって⾔ってただ ろ、なんだよそれ。今のは、熱烈な告⽩じゃないか。
「うちに来るのいやだって⾔ったのは、ひよったからで、伊吹の家⾏って⾃分からいろいろ 聞いたくせにキスされてすぐ帰ったのも、ビビったから。俺は今まで⼥性としか付き合った ことなくて、とか、おまえは相棒だし、とかぐるぐる考えたら頭パンクしたんだ。……だ せぇだろ。 ⾔い忘れてたけどあの時⾷ったカレー、めっちゃ旨かった。……そんで今⽇は、⼼配だった からいっしょに病院⾏った。おまえの怪我にすぐに気が付けなかった⾃分に腹⽴って、ひど い態度だった。ごめん。……ぜんぶに謝る」 謝る、と志摩は話を締め括った。伊吹はというと、完全にキャパオーバー。情報量が多すぎ る。⽇頃伊吹を⾺⿅だと⾔っているのだから、もっとわかりやすく⾔ってほしい。 「カレー……美味しかったんだ」 「まず最初に反応するとこそこかよ」 いつの間に腹を括ったのか、⾔われっぱなしだった志摩はどこか落ち着いていて、対する伊 吹は余裕がない。だって、⾃分ばっかりだと思っていたから。 「他に、何か感想は?」 「……わかりにく」 「ん?」 「もっと簡単な⾔葉で⾔って。シンプルなやつがあるじゃん。⼆⽂字で、俺が、志摩に対し てよく使う」 せい!とおどけて促してみたけど、若⼲声が上擦っていた。気が付かれただろうか。柔和に 微笑んだ志摩が、ゆっくりと⼝を開く。 「伊吹、すきだ」 ラブの意味で、と付け加えられたと同時に、伊吹は堪らなくなって志摩に抱きついていた。 「おい、⾜!」と叫ばれたが、そんなの気にしていられない。嬉しい、のきもちが膨れ上 がってうまく⾔葉にできないから、額をぐりぐりと志摩の肩⼝に擦り付けた。 「喜び⽅、⽝かよ……」 「志摩ちゃん!志摩、志摩!」 「はいはい」 「俺もすき!だいすきだかんね!」 「さっきも聞いた。……でも、何回でも⾔ってくれ」 嬉しいから、と⾔いながら伊吹の背中に腕が回り、抱き寄せられた。意外と無⾻なてのひら が、やさしく頭を撫でる。 「しまちゃ、すき……」
舞い上がって⾄近距離で彼を⾒つめながら呟く。 「あー……だめだ」 「なにが?」 「かわいすぎ。そんな顔すんな」 ⼀瞬天を仰いだ志摩は仕切り直し、と呟いて、そうっと唇を重ねてくる。最初は恐る恐る くっつけるだけ。様⼦⾒で擦り合わせるように。伊吹が焦れて軽く⼝を開くと、意図を汲ん だのか志摩の⾆がすぐに⼝内に⼊り込んできた。やばい、きもちいい。 ⼆度⽬のキスは、ずいぶんと「⼤⼈」だった、とだけ⾔っておこう。 晴れて「相棒」であり「恋⼈」になった志摩と伊吹は、当番勤務明け、いつもの⽜丼屋に来 ていた。 「志摩ちゃんはさ〜ひとりでぐるぐるぐるぐる考えすぎなんだよ」 「いきなりなんだまた脈略がないな」 鮭定⾷の鮭を箸でほぐしながら、志摩は慣れたような返事をする。伊吹はにやりと笑って、 「……今俺的にはめちゃくちゃ理論的に⾔ったつもりだったんだけど?」 「どこが?」 なんだかデジャブなやり取り。志摩もわかっているのか、⼝元を緩めている。 「前ここで、志摩ちゃんが⾔ったでしょ。どうしたいとかないわけ、」 「キスしたいとか、セックスしたいとか」 ⾔葉の続きは志摩が抑えた声で呟く。顔を⾒合わせて、思わず吹き出してしまった。 「ほんと、あの時の志摩はひどかった。何あの聞き⽅。もっとなんかなかったわけ?」 「それは認める。いろいろ考えすぎた」 「そう、考えすぎなの。ひとりで!……それを思い出して、俺は⾔ったわけ。理論的だろ」
6/7 ふふん、と伊吹が顎を上げると、はいはいそうですねーと流される。ひどい。でもクールな とこもすき。このしら〜っとした顔をした男が、伊吹のために頭を悩ませて必死に思いを伝 えてきてくれたことが、嬉しい。 「なー……志摩ちゃん」 「ん」
「キスはもうしたから、次はえっちだね。いつする?」 さらりと尋ねると効果は覿⾯で、志摩は⼿にしていた⽣卵の⼊った⼩鉢をひっくり返した。 トレーに盛⼤に零れる。 「あー!ちょっと何してんの志摩!」 「おっまえが変なこと⾔うからだろ!おまえが動揺させるようなこと⾔うから、」 「変なことじゃありません〜恋⼈ならふつうの会話です〜ていうか動揺したの?志摩ちゃん かわいいね」 ペーパーナプキンでトレーを拭きながら⼩さく悪態をつく志摩を愛しく眺めていると。 「……なあ、知ってるか」 「なになに」 「俺さ、ほんとは卵めっちゃすき」 伊吹は⽬を丸くした。なにそれ、知らなかったに決まっている。 「卵そんなすきじゃないって⾔ってたじゃん……」 「⾔った」 「あれなんだったの」 「伊吹に卵⾷べさせる⼝実」 「俺が卵すきだから?」 「そう」 好物を分けてやりたくて嘘をつくなんて、志摩らしいというかなんていうか。 「……志摩ちゃんの愛情表現、わかりにくい」 「慣れてくれ」 「そういうとこも、愛してるけど」 冗談めかした本気で告げると、志摩は「知ってる」ときゅるっとした伊吹のだいすきな笑顔 で頷いた。